ヨーロッパの歴史

「落ちこぼれの偉人」はたくさんいる!残念なエピソードを持つ7人の偉人

後世に残るような偉業を成し遂げた偉人たち。エリートコースな人生を最初から突き進んできたという場合もありますが、元々「落ちこぼれ」だった偉人もたくさんいるんです。今回は、彼らの少し残念なエピソードを紹介します。 手の届かない存在に思える偉人。しかしそのエピソードを知れば、意外と身近な存在に思えるかもしれません。

子供時代や成功するまでは落ちこぼれだった偉人たち

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勉強ができない、遊び惚けてばかり、周りから孤立してしまう……。そんな問題を抱えていた偉人は少なくありません。彼らはそんな状況の中から這い上がり、世界の常識を変えてきました。

きっと努力も苦労も多かったはず。彼らのことを知れば、きっと勇気が湧いてきますよ。

1.子供時代は泣き虫だった坂本龍馬

まずは日本の偉人から。大河ドラマや漫画の主人公として活躍することも多く人気の高い幕末志士の一人、坂本龍馬。言わずと知れた、明治維新の立役者ですね。龍馬が生まれたのはお手伝いさんがいるような裕福な家庭でした。5人兄弟の末っ子。兄弟と歳が離れていたことから、大変かわいがられて育ったようです。

そんな龍馬ですが、少年時代は10歳を超えてもおねしょ癖が治らなかったそう。臆病な性格を馬鹿にされ、近所の子供たちに「泣き虫」などと揶揄されることもしばしば。12歳で入れられた塾においても成績は振るわず、学友と馴染めずに泣きながら帰ったこともあったとのこと。

半年ほどで塾を辞め、それから後は姉・乙女の指導によって鍛えられていきました。乙女は非常に体格の良い、文武両道で様々な才のある女性だったそう。姉の支えもあり、龍馬は徐々に頭角を現していくことになります。家族の絆は偉大ですね。

2.あるものが大の苦手だったチャールズ・ダーウィン

『種の起源』で有名な自然科学者、チャールズ・ダーウィン。進化論といえばダーウィンですね。イギリスの裕福な医師・ロバートの息子として生まれたダーウィン。子供時代から植物や昆虫などに興味を示し、自分の庭を持っていたそうですよ。

やがて16歳になったダーウィンは家業を継ぐためにエディンバラ大学に入学し、医学を学ぶことになります。しかしダーウィンは血を見るのが苦手でした。当時の外科手術には麻酔が導入されていないことや、講義に興味が持てなかったことも要因となり大学を中退します。

その後父親はダーウィンを牧師にしようとケンブリッジ大学に入学させたものの、彼は昆虫採集に夢中になりました。入学後は趣味に時間を費やして遊びまわっていたようです。その後、博物学者ジョン・スティーブンス・ヘンズローと地層学者アダム・セジウィッグに出会い感銘を受けたダーウィンは学問の道に目覚めていくことになります。

3.薬にのめり込んだジークムント・フロイト

ジークムント・フロイトはオーストリア出身で、精神分析学の祖です。学者であると同時に、精神科医としても活動しています。今では当たり前の概念として使用される「無意識」の研究を初めて行ったのはフロイトなんですよ。心理学を学ぶに当たって、フロイトは無視することのできない存在です。

大学卒業後、フロイトは当時合法のコカイン研究にのめり込みました。患者や自身の友人たちにもコカインを強壮剤として勧め、使用します。コカインの中毒性が提唱されるようになり、自分でもコカインを使用していたフロイトは医学界から冷ややかな目を向けられることになってしまいました。

英語が苦手だったことなどの理由から、アメリカが嫌いだったというエピソードも持っているフロイト。しかし、彼の研究の数々は現在においても精神分析学に強い影響を残しています。

4.「普通」の少年ルイ・パスツール

フランスの細菌学者、ルイ・パスツール。「近代細菌学の開祖」とも呼ばれ、ワクチンの予防接種を開発した人物です。狂犬病ワクチンやコレラワクチンが今存在しているのは彼のおかげなんですよ。パスツールは化学から生物学、医学まで様々な分野において業績を上げています。

そんなパスツールですが、中学校時代の成績はそこまで良くなかったそう。しかし校長はパスツールに光るものを見出していたようで、彼に高等教育を勧めます。エコール・ノルマル高等師範学校(当時のフランスにおける最高学府)を目指すためパリの予備校に送り出されますが、ホームシックになり一度は実家に帰ってしまうパスツール。しかしここでの挫折で終わってしまう彼ではなく、努力の末20歳にしてエコール・ノルマルへの入学を果たすこととなりました。

自分の道を突き進み研究に精を出すパスツールでしたが、その最中脳出血で半身不随に。しかしその後も研究を続け、大きな成果を出していきます。

5.暗記が苦手!アルベルト・アインシュタイン

「現代物理学の父」とも称されるアルベルト・アインシュタイン。特殊相対性理論の発表によって、物理学の常識を書き換えました。ノーベル物理学賞も受賞しています。

彼は言葉の発達が遅く5歳頃まで言葉をほぼ喋ることがなかったそうです。また暗記についても大の苦手としていました。同級生とも良い関係を築くことはできなかったそう。しかし一方で子供の頃から数学に興味を抱き、9歳でピタゴラスの定理を自力で証明したというから驚きです。

中高一貫校にあたるギムナジウムに馴染めず逃げ出してしまったアインシュタインは、スイスのチューリッヒ連邦工科大学を受験。不合格となりましたが、数学と物理の点数が良かったことから条件付きで翌年の入学を許可されます。大学においても講義を欠席するなど決して優等生とは言えなかったアインシュタイン。26歳の時に「特殊相対性理論」を始めとした論文を発表し、それを契機に彼は物理学界で重要な存在となっていきます。

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