偉人の恋愛エピソード7選!あの有名人も実は恋愛体質だった!?
3-2.愛した女性が次々に自殺
やがてピカソは初めての結婚を経験しました。それがオルガという女性。しかし結婚後8年で疎遠になり別居したのです。その原因はピカソがマリーという女性を愛人にし、さらに妊娠させたからでした。
結局、最後まで離婚しなかったオルガは1955年に自殺。息子は薬物中毒で死亡するという悲惨な末路をたどることに。
いっぽうマリーは娘を出産しますが、その直後にまたしてもピカソは愛人を作ります。それがカメラマン兼画家のドラでした。かの名作「ゲルニカ」が製作されたのもこの頃のこと。
ピカソと破局したマリーはその後、1977年に自宅ガレージで首を吊って自殺したそうです。
3-3.晩年に至るまで重ねる恋愛遍歴
1943年、ピカソはまたまた新しい女性と出会います。それが21歳のジローでした。かたやピカソは63歳。新しい恋人のおかげで破局したドラもまた精神を病んで入院。その後は困窮した生活を送り続けたそうです。
結局ジローとの間に二人の子供をもうけますが、その後ピカソの横柄な態度に愛想を尽かした彼女は子供たちと共に出て行ってしまいました。
そして最後の女性ジャクリーヌが登場します。彼女とは1961年に結婚。ピカソはすでに80歳でした。1973年にピカソが亡くなると莫大な遺産の処理を続け、1986年に彼女もまたピカソの墓の前で自らの命を絶ったのです。
やはり芸術家というものは自らの感性を武器にしているため、そのぶん女性にモテるのでしょうか。何やら常人にはわからない魅力があるのでしょうね。
4.賢女?悪女?美貌の策謀家【クレオパトラ】
ジャン=レオン・ジェローム – http://www.mezzo-mondo.com/arts/mm/orientalist/european/gerome/index_b.html, パブリック・ドメイン, リンクによる
古代エジプト、プトレマイオス朝のクレオパトラ7世は絶世の美女として有名な人物ですね。そして彼女は自らの美貌を武器にローマの有力者を味方に付け、ファラオとして大きな権勢を誇ったのです。そんなクレオパトラの恋愛遍歴を見ていきましょう。
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4-1.ファラオとして君臨するクレオパトラ
紀元前1世紀の古代エジプトは、とっくの昔に勢威を無くしてローマ帝国と従属的な関係を結んでいました。すなわちローマの承認を得なければファラオ(王)が存在できないといった状態だったのです。
クレオパトラは生まれつき才能に恵まれ、複数の言語を操れる才女だったといいます。クレオパトラが18歳になった時、弟のプトレマイオス3世と結婚して共同でファラオの座に就きました。
あくまで形式上の結婚ですから、そこに男女の関係はありません。しかしまだ弟は幼く、そこに付け込んだ官僚たちが政治を操ろうと画策し、クレオパトラを窮地に陥れようとしたのです。
彼女は陰謀によって遠くシリア国境まで追われ、命運も尽きたかに思われました。
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4-2.カエサルとの出会い
ちょうどその頃、ローマの政争で敗れたポンペイウスを追ってカエサルがエジプトへやって来たのです。カエサルがクレオパトラの味方につくことを恐れたプトレマイオス3世の部下たちは、その前にクレオパトラを殺してしまおうと考えました。
危機を察したクレオパトラは、その身を毛布に包んでカエサルの部屋まで運ばせました。てっきり贈り物かと思ったカエサルが毛布を解くと、そこには妖艶なクレオパトラの姿が。その魅力に憑りつかれたカエサルは、夜をともにすることとなったのです。
カエサルを味方につけたクレオパトラは、反発するプトレマイオス3世の軍を叩きつぶし、ついにエジプトの実権を握ったのでした。やがてカエサルとの間に息子を授かり、カエサリオンと名付けたのです。
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4-3.カエサルの死とアントニウス
その後、カエサルに従って息子とともにローマで暮らしていたクレオパトラですが、思いもかけない出来事が起こります。絶大な権力を握っていたカエサルが暗殺されてしまったのです。
クレオパトラは難を逃れてエジプトへ逃げ帰り、わが子を王位につけて変わらず権力を掌握しようとしました。しかしカエサルの死後に起こった混乱を終息させたアントニウスは、エジプトこそが裏で糸を引いていると断定したのです。
クレオパトラは尋問のためアントニウスに呼び出されますが、金銀で豪華に飾られた船をしつらえた船にアントニウスを招待し、その美貌と妖艶さで歓待したのでした。そうなるとアントニウスはもはや手に落ちたも同然でした。そう、籠絡されてしまったのです。
4-4.クレオパトラの最期
アントニウスを味方に付けたクレオパトラは彼と結婚し、ローマの次なる実力者として期待をかけていました。ところがアントニウスの政敵というべきオクタヴィアヌスが動き出したのです。
海上での戦いとなって、アントニウス軍は数で優勢だったはずが敗退してしまい、撤退を余儀なくされました。しかし「クレオパトラが戦況を絶望して自殺した。」という誤報を聞くや、アントニウスは悲観的となって自ら命を絶ってしまいました。
やがて生きて捕らえられたクレオパトラは、アントニウスの死を聞き、やがて自分の運命も察すると毒蛇に咬ませて自殺してしまったのです。ローマの英雄たちを色香で惑わせた美女の最期でした。
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偉人たちの恋愛エピソード~日本編~
では次に、日本の偉人たちの恋愛模様を垣間見てみましょう。日本人は古来から結婚適齢期が早いこともあって、あまり恋愛結婚というものはなかったようです。しかし奥さんを大事にした偉人も多かったようですね。
5.戦国時代きっての愛妻家【明智光秀】
戦国大名や武将といえば、子孫を絶やさぬように正室の他にも側室や妾さんを持つのが当たり前だった時代でもありますよね。しかしそんな当時でも、たった一人の妻を大事にし、生涯をずっと添い遂げた愛妻家も多いのです。その最たる人が明智光秀でした。大河ドラマの主人公となっていますし、とても人気のある武将ですね。
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