アメリカの歴史独立後

ルーズベルト大統領が掲げた「ニューディール政策」とは?わかりやすく解説

世界恐慌が発生した後に、フランクリン・ルーズベルト氏は、ニューディール政策を掲げてアメリカ大統領に就任しました。それまでの古典経済学を捨て、近代経済学(有効需要政策)のモデルとなったこのニューディール政策がどのようなものであり、実際に成功したのかなどについて解説します。

ニューディール政策とはどのような政策だったの?

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ニューディール政策は、1932年に当選したアメリカ合衆国のフランクリン・ルーズベルト大統領による経済政策のことです。世界史の教科書などにも出てきますね。知っている方も多いと思いますが、具体的にどうしてニューディール政策がとられたかまでは知らない方が多いようです。1929年9月に起こったブラックマンデーと言われるアメリカのニューヨーク株式市場における株価の大暴落を契機とした世界的な大恐慌に対するアメリカの経済政策でした

1920年代後半のアメリカ景気と世界大恐慌

1920年代のアメリカ合衆国は、空前の活況を呈していました。1918年末まで続いた第一次世界大戦はヨーロッパ中心で行われ、ヨーロッパの生産施設の多くが傷ついたことから、世界の生産力の中心はアメリカに移動していたからです。そして、1920年代後半になって特に活況を呈したのが、金融市場でした。当時のアメリカの金融市場はほとんど規制がなく、銀行を中心に証券会社、生命保険会社などがグループ化され、金融市場に投資を行っていたのです。金融グループ全体で顧客を囲い込んで、多くの資金を投資させていました。

しかし、それは、すでに実態経済から遊離したバブルになっており、いずれ株式市場は大暴落するだろうと言われていたのです。投資家も、一度弾みがついた株式投資を押さえることはできず、不安を持ちながらも大量の資金で投資を続けていました。その結果、一度暴落した株価は歯止めが効かず、損失を恐れた投資家は一斉に株の売却に向かったのです。そのために、暴落は止まりませんでした。それに対して、アメリカのフーバー大統領は楽観的な見方をして、何も手を打ちません。金融市場の株価の価値が大幅に減少したために、金融機関は資金を回収できず、結果として企業に資金が回らなくなります。

アメリカ経済は、株式市場だけでなく、国全体が大規模な不況、すなわち大恐慌に陥ったのです。

アメリカの株価急落は日本のバブル崩壊と同じ

このアメリカの大恐慌は、1989年に始まる日本のバブル崩壊と同じような形で起こったと言えます。ただ、当時のアメリカの経済はすでにイギリスを追い抜いて世界最大規模になっていたため、その景気悪化は瞬く間に世界に広がってしまったのです。日本のバブル崩壊の場合には、日本経済はまだ世界2位の規模で、アメリカやヨーロッパでは、大恐慌の反省から金融市場にはさまざまな規制法がとられていました。そのため、日本発の株式市場の大暴落は、大きくは海外に大きくは波及せず、経済悪化は日本にとどまったのです。

フーバー大統領の失敗に起因した世界大恐慌

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もともと、アメリカの株式市場では、バブルが囁かれ、明らかに上げすぎていましたが、アメリカ政府のフーバー大統領は何も対策を講じませんでした。そのために、株価は上げるだけ上げてからついにバブルが破裂して、その影響はとんでもなく大きくなったのです。実態経済そのものも大きく影響を受け、経済的に異常な縮小を招いてしまいました。

ニューディール政策を掲げて大統領選に勝ったルーズベルト大統領

当然、アメリカ国内ではフーバー大統領に対する批判が高まり、人気は大きく低下しました。民主党のルーズベルト氏は、フーバー大統領の経済失策を批判して、新たなニューディール政策を掲げて大統領選挙に打って出たのです。フーバー大統領の不人気もあり、ルーズベルト氏は大統領選挙に大勝しました。ルーズベルト大統領は、このニューディール政策の人気で、アメリカ大統領では唯一の4選を果たしています。(現在は、3選以上は禁止)

このルーズベルト氏は、日露戦争の仲介をしたアメリカのセオドア・ルーズベルト大統領の親族で、奥さんも姪にあたっていたことは有名でした。

ニューディール政策とはどのような政策だったのか?

ルーズベルト大統領のニューディール政策は、これまでの古典経済学に基づく小さな政府ではなく、積極的に市場経済に関与していくという大きな政府論に基づいていました。すなわち、経済のことは市場の自由に任せれば、見えない神の手によって調整されるというアダム・スミス以来の古典的な経済理論ではなかったのです。政府が積極的に市場をコントロールするべきだというケインズの有効需要理論に基づいていました。

当時、ケインズは、イギリスの大蔵省の首席代表にもなった人物ですが、彼の有効需要理論はヨーロッパでは評価されていませんでした。イギリスでも、経済政策は古典経済学をそのバックボーンとしていたのです。従って、ルーズベルト大統領が彼の経済理論を採用したことには多くのヨーロッパ諸国が疑問を持っていました。

世界大恐慌に対する主なニューディール政策とは

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ケインズは、世界大恐慌のように景気が大きく停滞した場合には、有効需要(消費)を政府が積極的に提供していくことが必要という経済理論を打ち立てていました。現在では、不景気になると公共事業の補正予算を組むのは当たり前です。しかし、当時は景気が自然に回復するまで待つべきだという古典経済学の理論が信じられていました。

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