アメリカの歴史独立後

第二次世界大戦の原因となった「世界恐慌」とは?わかりやすく解説

今から190年前の1929年。当時のフーヴァー大統領は演説で、アメリカの「永遠の繁栄」を約束しました。しかし、その年の10月24日、ニューヨークのウォール街で株価が大暴落。世界恐慌が始まりました。繁栄の絶頂にあったアメリカを不況のどん底に叩き起こした世界恐慌とはどのようなものだったのでしょう。今回は世界恐慌についてわかりやすく解説します。

世界恐慌の背景

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世界恐慌の内容に入る前に、好景気・不景気・バブル・恐慌など景気循環の基本を知る必要があります。日本のバブル崩壊もそうですが、恐慌の直前、ほとんどの人がその兆候に気づくことはありません。世界恐慌の時のアメリカもそうでした。好景気に沸くアメリカと忍び寄る不況の影について、ひとつひとつ紐解いていきましょう。

景気変動の基本を知っておこう

景気は好景気→景気の後退→不景気→景気の回復といった具合で変動すると考えられています。好景気の時は商品が売れ、給与も上昇傾向。しかし、たくさん生産しすぎると商品が余り気味になり、徐々に売れなくなります。これが、景気後退のサイン。

商品が売れなくなると値引き競争が活発化。それでも売れなければ倒産する会社も現れます。不景気の到来ですね。商品の価格が下がってくると、徐々に商品需要も回復。景気が回復局面にはいります。

景気の後退が緩やかな場合は、徐々に生産を縮小させることができるので対応しやすいのですが、急激な景気後退の場合は縮小が間に合いません。商品が余りすぎて全く売れなくなるので価格は暴落。

一度にたくさんの会社が経営危機に陥り、企業倒産や失業が大規模に発生。生産や雇用・所得が急速に失われてしまう現象である恐慌状態となってしまうのです。

好景気に沸くアメリカ

1920年代のアメリカは空前の好景気に沸いていました。第一次世界大戦で大きな被害を被ったヨーロッパとは違い、アメリカ本土は無傷です。戦争中、アメリカは連合国に物資の販売やお金の貸し付けなどを行い莫大な利益を上げていました。

大量の商品が生産され、多くの人々が大量に消費します。これにより空前の好景気が訪れたのです。黄金の20年代の幕開けでした。ラジオや洗濯機・冷蔵庫などの電化製品、自動車などが飛ぶように売れます。

消費の主役は一部のお金持ちではなく、一般の庶民でした。販売が絶好調なので企業は生産能力を増やします。すると人手が足りません。雇用が次々と生まれ、給与も徐々に上がってきます。給与が増えた人々は再びたくさんの品物を購入。こうして、アメリカは空前の好景気に沸いたのでした。

アメリカを襲った農業不況

黄金の20年代は、バランスの良い経済発展ではありません。自動車・化学・電気などで新しい産業が発達したことで大量生産・大量消費社会が実現した一方、農村は不況にあえいでいました。

第一次世界大戦中、食料価格が上昇したため儲けるチャンスと考えられ、アメリカやアルゼンチン、オーストラリアなどでは穀物が増産されました。戦後、ヨーロッパ諸国の食料生産が回復すると価格は下落。

すると、借金をして農地を拡大していたアメリカの農民は支払いが滞りました。借金返済のため、せっかく買った農地を手放す農民が続出したのです。しかも、1929年の秋は豊作でした。ただでさえ農作物が余っているのにより生産量が増えてしまったので、価格は暴落。せっかく作った農作物が収穫すらされずに腐っていきました。

投資の過熱~靴磨きの少年のエピソード~

農民たちが生活苦であえいでいるころ、ニューヨークのウォール街はかつてないほどの活況を呈していました。第一次世界大戦後、世界のお金は好景気に沸くアメリカに集まります。

大量の資金を得た銀行は株の仲買人に資金を貸出。株の仲買人は一般の人に「今、株が大ブーム。今買っておくと将来値上がり間違いなし」と宣伝して人々に株の購入を勧めました。今まで、株の取引に全く縁のなかった一般庶民が「儲ける」ために株の取引に没頭していたのです。

ケネディ大統領の父であるジョセフ・ケネディは株式投資で巨額の利益を上げていました。ある日、仕事に行く前に靴磨きの少年に靴を磨いてもらうこと。少年はケネディの正体を知らずにおすすめの株を推薦してきました。一般人まで株にのめりこんでいることを悟ったケネディは、まもなく新しい株の買い手がつかなくなって株価が暴落することを予見し、全株式を売却し世界恐慌を逃れたといいます。しかし、彼のように取引から撤退する人はごく少数でした。

世界恐慌の経緯

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人々が夢見た「永遠の繁栄」は突如として終わりを告げます。1929年10月14日、株価が大暴落したのです。目に見える世界恐慌の始まりでした。株価は1か月間にわたって下落を続け、株式投資に多くの財産をつぎ込んだ人々は大損害を被りました。大恐慌による混乱はアメリカのみにとどまらず、世界各地に広がっていきました。

ウォール街の株価大暴落

1929年9月3日、株の指標の一つであるダウ工業平均は史上最高値を記録。そこから、株価は17%にわたって下落しました。その後、一度は下げ幅の半分まで株価は回復します。決定的に下落したのは1929年10月14日の木曜日。この日のことを「暗黒の木曜日(ブラックサーズデイ)」と呼びます。24日の段階では銀行などの介入により株価下落を押しとどめることに成功しました。

しかし、週明けの月曜日には再び株価が下落。翌火曜日にも株価暴落が継続します。損失の拡大を恐れた投資家たちが一斉に株を売ったため株価大暴落となったのです。株価大暴落が決定的になった10月29日の火曜日を「悲劇の比曜日」といいます。

企業の倒産や企業にお金を貸していた銀行の倒産を心配した人々は預金を引き出すため銀行に殺到。企業や銀行の連鎖倒産が相次ぎました。街には失業者があふれ、1920年代の繁栄はすっかり失わたのです。

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