アメリカの歴史独立後

今も評価が分かれている「イラク戦争」はどんな戦争だった?わかりやすく解説

今でも内乱が起こりがちであるイラク。そんなイラクですが昔はフセイン大統領のもとで独裁政治が敷かれているそんな国でした。 そのフセイン大統領が倒されたのがイラク戦争でした。 今回はそんなイラク戦争について解説していきたいと思います。

イラク戦争の簡単な概要

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イラク戦争は2003年にイラクが大量破壊兵器を保有していることを理由にアメリカを主体とする有志連合軍が行ったイラクへの軍事介入のことを指します。

この軍事介入はアメリカの一方的な勝利に終わり当時のフセイン政権を崩壊させました。

しかし、原因とされた大量破壊兵器は見つからずこの戦争によってイラク国内は治安が悪化してイラクは大混乱。イラク戦争の目的や必要性はどこにあったのかのかもわからず評価が難しい戦争です。

日本では当時の小泉首相がアメリカの支持を表明して2004年には非戦闘地域に限り自衛隊を派遣するイラク特別措置法が成立。人道支援のため自衛隊がイラクに出向いていましたが、こちらも批判が多い状態となっています。

イラク戦争の簡単な概要

中東にある国イラク。この国は戦後からサッダーム・フセインという人が独裁政治を敷いており、周辺の国と仲が悪い状態にありました。

そんなイラクがとあることがきっかけで世界を敵に回すことになるのですが、今回はそんなイラク戦争がどうして起こってしまったのかについて見ていきたいと思います。

湾岸戦争からのいざこざ

敵対することになるイラクとアメリカですが、この両国で最初に争いが起こり始めたのが1990年に起こった湾岸戦争でした。

湾岸戦争ではフセインがクウェートにあった膨大な石油資源を求めるために侵攻を開始。アメリカなどの国連軍がクウェートに味方してイラクを攻撃。最終的にはイラクは停戦協定に合意し、湾岸戦争は終結を迎えることになりました。

しかし、この時に結ばれた停戦協定(安保理決議687号)では侵攻したクウェートへの賠償、大量破壊兵器の廃棄、国境の尊重、抑留者の帰還などを内容にしていました。イラクもさすがにアメリカには逆らうことができずこの内容に合意したのですがまあ厄介。イラクはクウェートにはちゃんと賠償を行ったのですが、肝心の大量破壊兵器の廃棄がちゃんとやっているのかどうかが不透明な状態にあったのです。

アメリカからするとイラクが大量破壊兵器を保有したままだとまたいらないことをするということは目に見えています。またイラクの平和は中東の平和に大きく影響を与えることにもつながっているためイラクの大量破壊兵器の有無は中東の死活問題に当たっているのです。

アメリカとイラク

イラクに対する不信感が高まっていくようになったアメリカ。アメリカは国連で決まった決議を根拠としてイラク北部に飛行禁止空域を設置。さらにイラク南部にも飛行禁止空域を設定してイラクにおける軍事行動を遮ろうとします。しかし、これに反発したイラクはわざと地対空ミサイルの配備や軍用機による意図的な空域侵犯を行いアメリカを挑発。

さらには国連がイラクが大量破壊兵器を持っていないかどうかを調べる調査団の入国を拒否していき、アメリカに対する反抗を見せていくようになったのです。アメリカはイラクに対しての経済制裁をさらに強めていくようになりましたが、イラクはそれに気にせずアメリカに対して挑発行動を続けていくことになります。

アメリカ同時多発テロ

関係悪化が続いていたアメリカとイラク。その二国の関係が決定的に悪化することになったのは2001年9月11日に起こったアメリカ同時多発テロの時でした。2001年に就任したジョージ・W・ブッシュ大統領(湾岸戦争当時の大統領ジョージ・H・ブッシュの息子)はイラクに対する不信感がありました。イラクは何度も国連やアメリカとの非協力姿勢を問題にしており、イラクの防空網を破壊するための空爆もたびたびおこなわれていました。

そんな中9月11日、アメリカで同時多発テロ事件が発生。このテロは中東の武装派組織であるアルカイダの犯行と断定し、中東に対する強硬的姿勢を見せていくようになりました。

ブッシュ大統領は2002年初頭の一般教書演説において悪の枢軸発言を宣言。この時大量破壊兵器を保有していると疑われたイラク、イラン、北朝鮮をアルカイダなどのテロ支援国家であると名指しで非難を行うことになります。

特にイラクに対してはアメリカの政府内で強硬派が増えていったことに加えて湾岸戦争以降長年要求し続けた軍縮の進展の遅さと大量破壊兵器の拡散の危険を重視してイラクのフセイン大統領に対して繰り返し査察を受けるように強要しました。

アメリカのイラクへの脅し

2002年11月8日、国連ではイラクに武装解除遵守をするように求める国連議決が採択。ここまできたらイラクも査察を受け入らなければならないと思ったのかフセインは4年ぶりに全面査察に応じました。

これでめでたしめでたしかと思われたのですがわアメリカはこれでも不満顔。どうにかしてイラクが完全に大量破壊兵器を持っていないという確証を持たなければならないと考えていたアメリカはさらなる査察を行っていくのですが大量破壊兵器の確証は得られなかった。しかしアメリカはイラクがさらに化学兵器を保有している疑惑もあり、大量破壊兵器の破棄の疑惑を払拭できないとして武力行使を決意。

アメリカは国連に対してイラクに対する攻撃を許可する決議を採択しようとしましたが、これにフランスのシラク大統領が反発。アメリカみたいに攻撃するのではなく、査察を延長するように求めていき、ロシアも同調の動きを見せ始めていきました。

その流れは急速に進んでいき、アメリカとイギリスぎ攻撃を行おうとしたものの、この決議は否決する流れとなっていきます。これに慌てたアメリカとイギリスは決議無しでの攻撃に踏み切ることにしていくように仕向けていきました。

ブッシュ大統領はイラクにおける人権抑圧とアルカーイダなどテロ組織との関係が強いことなどを理由として空爆を開始。3月19日にテレビ演説にてフセイン大統領とその一族の国外退去を48時間以内に行うことを命令し、これが受け入れなければイラクに対して攻撃を開始するという最後通告を送ります。

しかし、イラクはそれを無視。ついにイラク戦争の幕が切って落とされようとしていたのです。

各国の反応

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イラク戦争に積極的に関わっていたのがアメリカとイギリスでした。しかし、イラク戦争が国連の議決なしに行われたことで湾岸戦争みたいな多国籍軍は結成することはできませんでした。

それでも日本の小泉純一郎首相はアメリカの武力行使を支持する構えを見せてフィリピンや韓国がそれに同調。イスラエルに至ってはそもそもイラクと仲が悪かったこともあり、戦争になれば真っ先に攻撃する構えを見せていました。

それに対して、フランス、ロシア、中国はこのイラクへの侵攻に反対の構えを見せており、フランスはこのイラク戦争を非難する構えを見せました。

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