第二次産業革命とはどんな革命なのか?
第二次産業革命は1870年から始まった新しい機械などの発明により産業が大幅に成長したことを指します。産業革命といえば18世紀のイギリスで起きたのが一番有名だと思いますが、実は産業革命は今のところ4段階あるとしてイギリスのは第一次、今回紹介するのは第二次と大きく区分されているのです。
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第二次産業革命の主役国
第二次産業革命の主役といえば1971年に国内が統一されたドイツと、南北戦争を終結させて国内をまとめたアメリカでした。今でもアメリカとドイツは世界でも有数の先進国なんですが、この国がこのように世界で輝くようになったのはこの第二次産業革命で大幅に国内産業を成長させたからにあると思います。イギリスの場合も産業革命によって国が大きく成長しましたから産業革命とは国の力を大きく増強させるのですかね。
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動力源が石炭から電力へ変換
第一次産業革命の主な動力源は蒸気機関。これは石炭を燃やして水を蒸気に変えてその力を利用することによって機械を動かすというように石炭を獲得して燃やすことがエネルギーの獲得に繋がっていたのです。しかし、第二次産業革命の時代となるとかつては雷しか認知されていなかった電気というものが注目されることとなりました。
例えば電気製品を実用化した代表的な人物としてアメリカで発明王と呼ばれたエジソンがいます。エジソンは電気を使った白熱電球を実用化させたりするなど電気製品を家庭にも普及させるようにしたため、このように電気の力が認知されるようになったのでした。
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軽工業から重工業へ
第二次産業革命の大きな特徴の一つとしてその中心となった産業が制糸産業などの軽工業ではなく、鉄鋼業や石油化学業などの重工業へと移り変わっていったことです。
元々第一次産業革命というのは飛び杼の発明によって織物の生産が急速に効率化したことによって起こったこともあり、基本的に製糸関連の発明がされることが多い傾向にありました。
しかし、第二次産業革命は石油などが実用化されたことによってそれを使った発明が行われます。例えばまた後ほど紹介することになりますが、ディーゼルエンジンの発明、ガソリンの発明、ガソリンを使ったガソリン車であるフォードモデルの大量生産など後の世の中に大きく繋がる発明が行われたのでした。
どうして第二次産業革命が起きたのか?
さて、第二次産業革命の概要と特徴を解説していきましたが、どうして第二次産業革命が国内を統一したばかりのドイツと南北戦争という内戦が終結したばかりのアメリカが中心となって行われ行ったのでしょうか?実はその裏には当時の国内の熱心な政策が裏にあったからなんです。
まずはアメリカとドイツのそれぞれの発展の歴史について見ていきましょう。
独立した当時のアメリカの産業
今でこそアメリカという国は世界に影響力を持つ超大国として世界の中心に君臨していますが、元々この国は、1776年にイギリスから独立を果たした新興国家としか世界から認知されていませんでした。アメリカが独立したこの頃は第一次産業革命の真っ只中。アメリカはイギリスが大量に作った工業製品を輸入してその工業製品を使って作られた綿糸などをイギリスに輸出するというまるで植民地のようなイギリスへの依存貿易をしていたのです。
しかし、1812年に入るとアメリカはイギリスと敵対し米英戦争が勃発。イギリスとの貿易は中断。国内産業を支えてきた工業製品が輸入されなくなってしまい、自国で工業製品を生産する必要性が出てきたのです。
この結果、アメリカは自国にて工業製品を作るようになり、その結果南部で豊富に取れた綿花を使ってニューイングランドの中心地であったボストンは港湾都市として著しく発展するようになります。
南北戦争による工業化の始まり
こうしてアメリカは南部で綿花などの原材料を生産して北部の工業都市でその綿花を使って製品を大量生産してそれを世界に向けて売るというスタイルが確立されるようになりました。
しかし、これが南部との経済格差を招くことになり、さらには南部などで使われていた奴隷を北部の工場にて自由に使いたいなどの利害の対立などから1861年からアメリカ北部と南部に分かれて戦うという南北戦争が勃発しました。
南北戦争は工業製品を武器生産に当てられたことから北部の勝利に終わり、アメリカは工業化を第一に考えるという方針が確立。
北部の工業都市はその輸出にて大量に利益を得たその元手を使って1869年には大陸横断鉄道の開通。その影響からか東海岸のみならず五大湖周辺の例えばデトロイトやシカゴなどの都市が工業都市として変貌。アメリカ国内ではこの急速に産業化を果たしていったその流れを断ち切らないように保護貿易政策という「自国の製品を優先に使いたいから海外の製品は受け付けません!」ということを行い国内産業を守っていたのでした。