ドイツヨーロッパの歴史

ヨーロッパ古典派音楽の大成者にして楽聖「ベートーヴェン」を元予備校講師がわかりやすく解説

音楽史において、バッハやヘンデルなどが活躍したバロック時代の次にくるのが古典派音楽です。古典派音楽を大成し、次のロマン派音楽につなげる役割を果たしたのがベートーヴェンでした。日本人にとっても、交響曲第5番「運命」や交響曲第9番「第九」、三大ピアノソナタでなじみがある作曲家ですよね。今回はベートーヴェンが大成した古典派音楽のおおまかな内容やベートーヴェンの生涯、ベートーヴェンの代表作などについて元予備校講師がわかりやすく解説します。

古典派音楽とその時代

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古典派音楽が流行したのは18世紀を中心とした時代です。この時代、ヨーロッパでは王侯貴族による支配に抵抗する市民革命が各国で起きていました。市民革命の背後にある啓蒙思想では理性を重視します。そのため、キリスト教以前の古典古代(ギリシア・ローマ)の影響を受けた古典主義文化が開花しました。古典主義時代のヨーロッパの様子や古典派音楽の概要、古典派音楽の代表的作曲家について紹介します。

古典主義時代のヨーロッパ

17世紀中ごろから18世紀はじめにかけて、ヨーロッパ各国では絶対王政が最盛期を迎えていました。18世紀中期以降になると、アメリカやフランスなどで市民革命が勃発。17世紀後半におきたイギリスの市民革命と合わせて大西洋革命とよぶこともあります。

市民革命の背景にあった思想が啓蒙思想でした。人々を封建的な支配やキリスト教的価値観から解き放ち、理性を重視する啓蒙思想は政治・文化などあらゆる面でヨーロッパに大きな影響を与えます。

封建的な支配に苦しむフランスの民衆は啓蒙思想によって勇気付けられフランス革命へと向かいました。

プロイセンやオーストリア、ロシアでは君主たちが啓蒙思想を実践し、絶対王政の継続をはかります。プロイセンのフリードリヒ2やロシアのエカチェリーナ2啓蒙専制君主と呼ばれました。

古典派音楽って何?

古典派音楽は18世紀の後半に大きく発達した音楽です。古典派音楽の前に流行したバロック音楽の時代、音楽家たちは王侯貴族の依頼を受けて作曲・演奏をおこなうのが普通でした。バッハやヘンデルは王侯貴族や教会のために作曲・演奏することが多かったのです。

18世紀後半は市民革命の時代。王侯貴族や教会にとっては受難の時代でした。彼らにかわって音楽を楽しむようになったのはブルジョワジーとよばれる中産市民たちです。彼らはバロック時代の荘厳な音楽よりもわかりやすく流麗な旋律を求めました。

古典派音楽の時代に確立したのがソナタ形式です。ソナタは3つ、または4つの楽章から構成。最初に導入部(ないことも多い)、次にメインテーマを演奏する提示部、テーマを変化させる展開部、メインテーマを再度提示しアレンジを加える再現部によって構成されます。

曲の構造が明快なので理解しやすいという長所がありました。

古典派音楽の代表的な作曲家

古典派音楽を代表する作曲家は3人。ハイドンモーツァルトベートーヴェンです。彼らのことを「ウィーン(ヴィーン)古典派」ともいいますね。ハイドンは「交響曲の父」の異名で知られる作曲家です。

ハイドンは西部ハンガリー有数の大貴族であるエステルハージ家の宮廷楽長として30年仕えたのち、作曲中心の生活を送りました。

モーツァルトはオーストリアの音楽家で映画「アマデウス」で有名ですね。若いころは故郷のザルツブルクの教会付き音楽家でしたが、25歳で独立します。演奏会を自ら企画・主催し、市民たちに宣伝し入場料を取ってコンサートを開くという当時としては斬新な方法で収入を得ていました。

35歳の時、「レクイエム」を作曲中に急死します。ベートーベンはハイドンやモーツァルトよりも若い世代の音楽家。彼は王侯貴族や教会の宮廷楽長などには就任せず、一音楽家として生計を立てます

ベートーヴェンの生涯

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ベートーヴェンは古典主義音楽の大成者で、後世「楽聖」と呼ばれるようになる音楽家です。彼は生涯で9つの交響曲と32のピアノソナタをはじめとして多くの曲を生み出しました。ピアニストとして成功したベートーヴェンは難聴という悲運に見舞われます。死を覚悟するほどの苦悩と葛藤の中、ベートーヴェンは素晴らしい交響曲を数多く世に送り出しました。

生い立ち~青年時代

ルートヴィヒ=ヴァン=ベートーヴェン1770年12月に現在のドイツにあるボンで生まれます。ベートーヴェンの一家は音楽家の家系で、祖父も父も宮廷音楽家として収入を得ていました。

父のヨハンはテノール歌手として生計を立てていましたが、生来の大酒のみで浪費家。お金がいくらあっても足りません。ヨハンは息子のルートヴィヒ(以後、ベートーヴェン)が音楽の才能を持っていることを見抜き、息子を「金づる」とするべく虐待まがいの音楽指導を行いました。

1782年、11歳の時にオペラ作曲家でオルガニストのゴットロープの指導を受けます。17歳の時である1787年、ベートーヴェンはウィーンのモーツァルトを訪ねたといわれますね。

1792年、ベートーヴェンはボンに立ち寄ったハイドンに才能を認められ弟子入りしました。その後、ベートーヴェンはピアニストとして名声を博するようになります。

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