世界中を巻き込んだ「第二次世界大戦」原因・経過・結果をわかりやすく解説
第二次世界大戦後の世界
第二次世界大戦の終結は世界の平和を保障するものではありませんでした。それどころか、戦後に開かれたヤルタ会談ではアメリカとソ連が互いに譲らず、両者の対立は深まります。アメリカもソ連も自国の勢力圏を広げるのに必死でした。ヤルタ会談後、世界はアメリカとソ連が対立する冷戦の時代へと移行します。
ヤルタ会談~勝者による世界分割~
1945年2月、クリミア半島のヤルタで連合国首脳が行った会談をヤルタ会談といいます。参加したのはアメリカのフランクリン=ローズヴェルト、イギリスのチャーチル、そしてソ連のスターリン。彼ら連合国の首脳が戦後の世界の行方を決めました。
第一に、ドイツは連合国で分割占領すること、第二に東欧諸国に新政権を樹立すること、秘密条項としてソ連の対日参戦や南樺太・千島列島のソ連領有などが定められました。ソ連の対日参戦を望むローズヴェルトはソ連に大幅に譲歩します。ヤルタ会談での決定事項はアメリカ・イギリスとソ連による世界分割といってもよい内容でした。ヤルタで協調した3国は、2年後の1947年には冷戦に突入します。
米ソの対立と冷戦の幕開け
ソ連に妥協的だとされたアメリカのローズヴェルト大統領が病死すると、ソ連に批判的な態度をとるトルーマンが大統領となりました。トルーマンは西欧諸国や占領下の日本などを囲い込みソ連が拡大しないように働きかけます。西側の軍事同盟としてNATOも作り上げました。これらを封じ込め政策といいます。
対するソ連は東欧諸国を衛星国としてワルシャワ条約機構を結成。中国共産党を支援して東アジアでも勢力拡大を図ります。以後、アメリカとソ連はことあるごとに対立しました。対立はソ連が行ったベルリン封鎖や朝鮮半島でおきた朝鮮戦争などで激化します。
この間、アメリカとソ連は直接戦火を交えずに対決しました。これを冷戦といいます。戦火を交えないといっても、両国は核兵器を保有しているため一歩間違えば核戦争になる危険と隣り合わせでもありました。冷戦はヤルタ会談に始まり、1989年のマルタ会談まで続きます。
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第二次世界大戦は未曽有の死者を出す大戦争だった
1939年9月に始まった戦争は1945年8月15日まで続きました。その間、ヨーロッパ・アジア・太平洋など世界中のあらゆるところで戦闘が続きます。第二次世界大戦の死者はおよそ5000万人に達しました。かつての戦争と違い、命を落としたのは兵士だけではありません。多くの一般市民も犠牲になりました。その後、戦争で疲弊した世界は冷戦という新たな時代に突入。しばらくは緊張状態が継続するのです。