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盧溝橋事件とは何だったのか!長い日中戦争への入り口

今ではあまり知られていない事件に、盧溝橋事件があります。この事件が日中戦争や第二次世界大戦の引き金になったことを知っている方は以外と少ないようです。しかし、一つの事件がきっかけとなって、大きな戦争に至ると言うことを盧溝橋事件は教えてくれています。この事件が、私たちの身近で起こっていたことは忘れてはなりません。この盧溝橋事件がなぜ起こったのか、ご紹介することにします。

盧溝橋事件とは何だったのか

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盧溝橋事件は、1937年7月に中国北京市の南西15kmのところにある盧溝河(現在の永定河)にかかっていた盧溝橋において生じた小競り合いを言います。当時の日本軍は、満州国から中国に進出しようと機会を狙っていました。北京市は当時の満州国から近く、盧溝河にかかる盧溝橋付近では、日本の関東軍と中国軍のにらみ合いが続いており、その最中に生じた銃撃事件だったのです。

盧溝橋事件をきっかけとして長い日中戦争に突入

盧溝橋事件に対して両軍による事後調整が行われましたが、うまくいかず、そのまま日本と中国は宣戦布告のないままに長い戦争に突入していきます。その後も、アメリカなどの欧米諸国を交えた和平交渉もうまくいかず、孤立した日本は第二次世界大戦に突入してしまうのです。その意味で、盧溝橋事件は、あまり知られてはいませんが、日本が泥沼に陥り、長い戦争の末に敗戦国となる重要な事件でした。

日中戦争と第二次世界大戦は違う?

私たちの教科書などでは第二次世界大戦が大きく取り上げられていますが、まず日中戦争が起こり、その解決のための交渉が行われ、決裂した結果、第二次世界大戦に参戦することになってしまったのです。きっかけは盧溝橋事件という小競り合いでした。しかし、それが長い戦争に繋がり、敗戦国となるとは誰も考えていなかったこと自体が現代に対する痛烈な問題提起なのです。

盧溝橋事件はなぜ起こったのか

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盧溝橋事件はなぜ起こってしまったのでしょう。最初に誰が発砲したのかは今でもはっきりとわかっていません。日本国内では中国軍からの発砲としています。しかし、当時の中国大陸に展開していた日本陸軍の関東軍は、満州事変においても日本政府の指示を無視し、陸軍参謀本部の言うことさえ無視して行動を起こすというコントロールの効かない軍事集団でした。満州事変とその後の満州国建国もこの関東軍が画策したものであり、そのために国際連盟のリットン調査団にすべて否定されているのです。

中国側はもちろん日本軍の発砲としていますが、これも根拠があるわけでなく、真相は闇の中と言えます。事件が起こったことだけが事実として残っているのです。日本軍(関東軍)は日本側の主張に基づいて中国軍との交渉に当たり、両者ともに軍隊を互いに両岸に集め、日本の強固な要求もあり、ずるずると長引きました。その間には、互いに更なる発砲もあって、泥沼化し、そのまま日中戦争に突入してしまったのです。

盧溝橋事件に至る日本陸軍の戦争へ道

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盧溝橋事件はそれ自体、唐突に起こったものですが、当然、そこに至る伏線というものがあったのです。

明治維新後、日本では1873年に徴兵制が導入され、長州の山県有朋が主導して日本陸軍が編成されました。その山県が総理大臣になった2000年には、軍部大臣現役武官制という制度ができたのです。陸軍大臣と海軍大臣は現役の将官がなり、軍部が大臣を出さない場合には内閣は成立しないという制度が導入されて、日本の軍部は大きな力を持つようになります。そして日露戦争後、朝鮮半島から中国の遼東半島を手に入れた日本軍は、そこを足がかりとして中国東北部の満州に進出を開始したのです。

2000年に中国の清で北清事変が起こり、中国国内に外国人に危害が及ぶ可能性がある場合にはそこに軍隊を派遣できるという条約が清と諸外国との間で結ばれました。日本もその条約国であったことから、その条約を盾に日本陸軍は関東軍を満州に派兵していったのです。関東軍は、日本陸軍の中国進出のための軍事組織でした。

 

日本陸軍関東軍の満州から中国への進出

満州に進出した関東軍は、1931年に柳条湖事件(満州鉄道爆破事件)を利用して満州事変を起こし、満州に傀儡政権である満州国を建国したのです。そして満州に日本からの移民を送り込み、満州の開拓とともに、中国全土への進出を画策しました。

 

 

そもそも満州国とは何だったのか!ラストエンペラーの世界

満州国は、ほぼ日本陸軍というよりも関東軍の傀儡政権であり、初代皇帝には旧清国の最後の皇帝(西太后の孫)であった愛新覚羅溥儀がなります。映画の「ラストエンペラー」でもお馴染みですが、彼を利用して中国支配を狙ったのが、満州国の建国だったのです。(清は1911年に辛亥革命が起こり、滅んでいました。)

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