フランスヨーロッパの歴史

1300年も紡ぎ続けた信仰の歴史【憧れのモンサンミッシェルの見どころ4選】

ヨーロッパへ海外旅行に行った時の人気の観光地といえば、イタリアローマのバチカン宮殿やコロッセオ、フランスパリのエッフェル塔や凱旋門、イギリスロンドンのバッキンガム宮殿やビッグベンなど数え上げればキリがないくらいですよね。しかし、特に女性に人気がある観光地といえば、どこが思い浮かぶでしょう?誰しもが口にするのは、「美しすぎる修道院」として、あまりに有名なモンサンミッシェルではないでしょうか。海に浮かぶ孤島に、重厚な石造りの建物やそそり立つ修道院の尖塔。ロマンあふれる情景に心奪われる人も少なくはないはず。そんなモンサンミッシェルを長い長い歴史と共にご紹介していきましょう。

モンサンミッシェルってどんなところ?

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モンサンミッシェルはカトリックの修道院です。1979年に世界遺産に登録されていますが、実は建物だけではなく島全体が世界遺産に指定されています。モンサンミッシェルの歴史や見どころをご紹介する前に、まずはどういうところにあって、どう行けばよいのか?基本的なところを押さえていきましょう。

モンサンミッシェルへのアクセス

まず、日本からフランスのパリへは、飛行機の直行便があります。

成田国際空港からはエールフランスアエロフロート。関西国際空港からはエールフランスのみで、おおむね12~15時間くらいのフライトとなります。

パリからのアクセスなのですが、途中までは高速鉄道TGVで。そしてノルマンディー地方の各都市からは直通バスが運行しているので、時間の都合に合わせて乗り継いだら良いでしょう。レンヌ、カーン、サンマロあたりのTGVの停車駅からバスは出ています。

おそらく、観光で行かれる方は旅行会社のツアーが多いはずなので、特に心配はないでしょう。個人旅行の場合はTGVのチケットであれば日本語対応の購入サイトで手に入ります。しかし、バスへの乗り換えの際には日本語が通じないため、これはもう頑張って買うしかありません。Espace Korrigo(バスチケット売り場)でバスチケットを買いましょう。

TGVとバスで、おおむね片道3時間ほどかかります。

モンサンミッシェルには、ホテルやレストランはあるの?

バスはモンサンミッシェルの対岸で停まります。そこから先は島へ渡るために無料シャトルバスを利用しましょう。

モンサンミッシェルには、レストランを兼ねているホテルも多く、島じたいが小さいので町はこじんまりとした感じですね。だから初めての方には分かりづらいかも知れません。ですので、島の対岸で宿を取ることをオススメします。対岸だと朝焼けに映えるモンサンミッシェルが拝めるので、最高の気分になれますよ。

島内のレストランには日本語メニューを置いている店もありますし、もちろん価格面でも安くて美味しいお店もたくさん。事前にリサーチしておくことも大切です。

特に食べてほしいのは、モンサンミッシェル名物のスフレみたいなオムレツ。日本では今まで味わったことがないはず!

 

モンサンミッシェルの歴史の始まり

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カトリック教会の聖地として。また世界遺産として。今も多くの人が訪れるモンサンミッシェル。いよいよその長い歴史をひも解いていきましょう。時代は今から1300年前までさかのぼります。

大天使聖ミカエルの夢のお告げで聖堂が建つ

8世紀初め、ピピン2世が治めるフランク王国の時代、当時アブランシュにオベールという司教がいました。ある夜、彼の夢の中に大天使聖ミカエルが現れます。

聖ミカエルとは、天使の中でも最上級の位にある守護者とされ、多くの人々の尊崇を集めていました。後世、ジャンヌ・ダルクに神の啓示を与えたのも聖ミカエルだとされています。現在でも欧米人に、マイケルやミッシェル、ミゲルという名が多いのも、このミカエルにちなんでのことなのです。

オベールの夢に現れた聖ミカエルはこう言います、「向かいの島にある岩山に聖堂を建てよ」と。

最初オベールは、ただの夢か悪魔の悪戯だと思い無視していました。すると翌日も聖ミカエルは夢の中に現れて、同じように「岩山に聖堂を建てよ。」と言いました。そうしたことが3度も続き、ついに業を煮やした聖ミカエルは、寝ているオベールの額を強引にその指で貫いたのです。

翌朝起きて仰天したオベールは、やっとお告げが本当だったと気付き、岩山に聖堂を建てることに。これがモンサンミッシェルの始まりだったのです。モンサンミッシェルの「モン」は山。「サン」は聖。「ミッシェル」はミカエルという意味なので、「聖ミカエルの山」という意味になります。

フランク王国の衰退とヴァイキングの脅威

モンサンミッシェルに聖堂が経って約100年が経過した頃、最盛期を過ぎたカロリング朝フランク王国の衰退はすでに明らかになりつつありました。ヴェルダン条約によって3つに分割され、モンサンミッシェルの位置する北フランス沿岸は西フランク王国の領有となっています。

しかし、この頃から北方のノルマン人率いるヴァイキングが北フランス沿岸を荒らしまわり、当然のこと、モンサンミッシェルも標的になりました。貴重な財物を狙って、たびたびヴァイキングが襲来しますが、修道士たちは頑なに聖堂を守り続け、信仰の火を絶やすことはなかったのです。

そうするうちにノルマン人たちは、温暖で肥沃なこの地に土着し、西フランク国王シャルル単純王とも和平を結びます。土地を荒らしまわって略奪を繰り返すよりも、民を慈しんで穏やかな治世を行う方が賢明だと考えたからです。こうしてキリスト教への改宗を条件に、この地域に居ついたノルマン人たちは、ノルマンディー公国を建国し、以後この地域はノルマンディー地方と呼ばれるようになりました。

モンサンミッシェルの見どころその1【王の門】

モンサンミッシェルにある3つの門の一つです。対岸から渡る橋の正面にあり、王が派遣した衛兵が詰めていた城門になります。

鎖のついた跳ね橋があり、敵が近づくと、この跳ね橋を上げて侵入を防いだといいます。ここが修道院でありながら要塞でもあったということが良くわかる場所です。

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明石則実