日本共産党の歴史
まず日本共産党の過去からの歴史をひも解いていきたいと思います。現存する政党で最古の政党なのですが、その政治的スタンスの危うさから、たびたび国家の弾圧や迫害を受けてきました。なぜなら当初から「主権在民」を主張し、天皇に主権がある大日本帝国憲法に対して違法であるとされていたからです。
日本共産党苦難の時代
1917年に帝政ロシアが倒されて共産主義国家ソ連が誕生すると、ロシア共産党は「革命主義」を全世界へ広めようと各地へ支部を広げました。王政や帝政を否定し、民衆の力によって政治を変えようとする動きは一大ムーブメントとなりつつあったのです。
日本においても大正デモクラシーや米騒動が起きるなど、民主主義を目指す運動が頻発していた頃ですから、既に共産党が誕生する下地は出来つつあったのではないでしょうか。
そうした中、1922年7月にコミンテルン(国際共産主義)の日本支部として日本共産党がスタートしました。しかし当時の憲法は「主権在民の日本国憲法」ではなく「天皇主権の大日本帝国憲法(明治憲法)」の時代。国民の権利を主張したところで違憲だと判断され、非合法での活動を余儀なくされたのです。
翌年には治安維持法による弾圧が始まり、1929年の一斉検挙をはじめとした迫害によって多くの指導者を失うことになりました。1931年の満州事変以降は、日本の政党のほとんどが戦争協力に傾いていく中、日本共産党のみが反対を続け、ますます立ち位置が厳しくなっていったのです。
小説「蟹工船」で著名なプロレタリア作家小林多喜二も共産党員だったため、特高(特別高等警察)からの厳しい取り調べを受け、ひどい拷問のあげく獄死しています。
いずれにしても、終始一貫して戦争に対して反対の声を挙げ続けたため、太平洋戦争が終わるまで活動の逼塞を余儀なくされたのです。
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