大正日本の歴史

「米騒動」って何?第一次世界大戦中の好景気に起こったこの騒動を解説

米騒動と聞いてバブル崩壊後に国内の米の生産量が減ってタイ米などを輸入せざるを得なくなったことを思い出す人は多いと思います。しかし、大正時代の1918年に起こった富山県の米騒動は米の価格が高騰したことによって起こり、暴動が起きるまでに発展しました。騒動はすぐに全国に広がっていき、当時の内閣が倒れるまでに至った事件として有名です。しかも、1918年は第一次世界大戦が終結した年であり、国内景気は明治維新以来最も好景気に沸いていた時期でした。 このような大正時代になぜ米騒動が起こったのか、解説します。

大正時代の米騒動とは

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1918年7月に、米価の高騰によって富山県の魚津で発生した主婦を中心とした抗議運動は、大きく燃え広がり、全国的な米騒動に発展したことで有名です。歴史の教科書にも米騒動として記載されています。

当時の日本は、第一次世界大戦に参戦して、中国や南太平洋のドイツの植民地を手に入れたて湧き上がっていました。さらにそれだけでなく、ヨーロッパが戦場になり、生産設備が壊滅的被害を受けたことから、アジア、アフリカなどへの代替輸出によって、国内生産力は大きく増強されたのです。すなわち、明治維新以来、かつてない好景気に沸いた時期でした。そのような中で、なぜ米騒動が起こり、内閣まで倒れてしまったのか不思議ですね。

この大正時代に起きた米騒動がなぜ起こったのかを見ていきます。

米騒動当時の日本の状況

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米騒動の起こった大正時代の日本は、どのような状況に置かれていたのでしょう。そして、その状況においてなぜ米騒動が起こってきたのかを見てみましょう。

第一次世界大戦前の日本経済は日露戦争後の長期不況に苦しんでいた

20世紀に入ってからの日本は、日露戦争に勝利したものの、賠償金は手に入らず、それ以降、恐慌も起こるなど、経済的には困難な時期にありました。そのために、大陸への進出が急務で、政府は関東軍による満州への進出も黙認していたのです。

第一次世界大戦の勃発と参戦

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このような経済的に苦しい中で、ヨーロッパでは第一次世界大戦が始まり、それは経済的に苦しかった日本にとっては、神風になりました。日本は日英同盟を理由にイギリスの連合国側で参戦し、中国の青島や南太平洋のマリアナ諸島、マーシャル諸島などの南洋諸島のドイツの租借地(植民地)を攻撃しました。それらを占領し、簡単に手に入れたのです。

第一次世界大戦によって空前の好景気が到来

しかし、第一次世界大戦の日本への恩恵はそれだけではありませんでした。ヨーロッパ全体が戦火に包まれ、その生産設備は戦火の中で大きな被害を受け、生産力は低下したのです。欧州先進国は、産業革命で近代化を果たして、生産力を高めてアジア、アフリカなどに販売しており、そのような状況下では製品を販売することができなくなりました。そこで、日本はアジア、アフリカ地域への機械製品、繊維製品などの販売を拡大することができ、それに伴って国内の生産設備は大きく増加したのです。そのため、日本は、明治維新以来、経験をしたことのない空前の好景気を迎えることができました。

日本経済は、大きく発展し、先進欧米諸国に負けない生産力を持つに至ったのです。

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