中国国民党とは?
中国国民党とは中華民国(台湾)の政党であり、2020年現在は同国の最大野党として活動している政党です。昔は中国大陸にて中華民国指揮していましたが、現在では中国共産党との国共内戦によって敗北して台湾に逃れてきた形となっています。
昔は戒厳令などを敷いて一党独裁を行なっていましたが、現在では二大政党制の党の一つとして活動して民主化の中で動いているのです。
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中国国民党の歴史
中国国民党が台湾の政党になる前には中国大陸の政党として独裁政治を敷いていました。まずはそんな中国国民党の歴史を見ていきたいと思います。
革命の試み
かつて眠れる獅子と恐れられてきた大清帝国はアヘン戦争の敗北以降欧米列強によって次々と領土を奪われていき、さらには1894年の日清戦争の敗北によって半植民地の扱いを受けることになりました。
そんな中でも清朝は旧体制から抜けることはできず、近代化も遅れたまま。こんな状態ではいけないと1894年11月に清朝を打倒してアジアで初めての共和制国家樹立を目的とする同盟が結ばれていくことになりました。
そんな中でも一番勢いがあったのが孫文が中心となってハワイで結成された興中会。興中会はたびたび中国にて武装蜂起を試みたが失敗するなどテロ組織として清朝を打倒しようと試みていたのです。
しかし、このテロ行為による王朝転覆は失敗。日本に亡命して再起を図ろうと試みます。
東京に滞在していた孫文は日露戦争において日本が勝利したことを受けて1905年8月に清朝を打倒するために各地に存在していた組織を大同団結することで合意。孫文がおこした興中会を中心として日本の東京で中国同盟会が結成することになり、この組織が国民党の前身となるのです。
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辛亥革命の成功
革命の機会を虎視眈々と狙っていた孫文。そんな孫文に1911年チャンスが訪れます。1911年清朝は鉄道を国有化する法律を制定。これが国民の生活をさらに悪化するものであったため1911年10月には武昌起義が起こりいわゆる辛亥革命に発展することになります。
孫文は東京からすぐさま中国に戻り革命を指導。1912年に孫文は南京にて中華民国の成立を宣言してさらには清朝が袁世凱によって滅亡したことで中華民国は中国全土を支配するまでに至りました。
孫文は元々あった中国同盟会の他に統一共和党や国民共進会などと合併して国民党を設立。
しかし、ここから国民党の挫折が始まることになるのでした。
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孫文の挫折
こうして成立した国民党と中華民国。しかしこの中華民国の設立の裏で袁世凱率いる軍隊が着実に勢力を伸ばしていました。袁世凱は孫文に対して清朝を滅ぼす代わりに臨時大総統を譲る約束を取り付けて大総統に就任。袁世凱は共和国ではなく軍部独裁を行うために活動を広げていくようになります。
1912年12月から始まった中国初の国会選挙では国民党が第1党となり政権与党に。しかし、臨時大総統に就任していた袁世凱が国会によってその権力が制限されるのではないのかという警戒心を抱き始めて国民党の重要幹部を殺害する決心を固めます。
その結果、国民党創立の中心人物の一人であった宋教仁は袁世凱の指示を受けた人によって上海で暗殺。これを受けて孫文は第二革命を抱げて袁世凱排除に動き出しますが、精鋭の軍隊には手も足も出ず第二革命は失敗。国民党員のほとんどが逮捕されて弾圧を受け国民党そのものも解散命令が出されたことによって一旦消滅しました。
孫文はというと逮捕される前に日本に亡命。日本の支援者の援助を受けながら孫文は東京にて中華革命党を結成しました。
五・四運動の起こりと中国国民党の成立
第二革命を鎮圧した袁世凱は孫文を追い落としたことで大総統へ就任。中国の支配を確定的なものとしました。しかし袁世凱は1915年に日本から出された対華21ヶ条要求を批准して日本に中国の利権を売り渡したことや、国号を中華帝国に改めて自ら皇帝になった事で民衆の支持は失墜。その直後に病死してしまいました。その後中国は統一政府が存在しない状態となり、軍閥が群雄割拠する軍閥時代となっていきます
一方そのころ中国国内では第一次世界大戦後のパリ講和会議によってドイツから山東省権益が日本に譲渡されたのを受けて、中国全土で反日愛国運動が盛り上がっていくようになります。この運動は特に強かったのが1919年5月4日だったことから五・四運動と呼ばれました。
この運動を見た孫文は中華革命党が秘密結社であったことで民衆の知名度が足りなかったことを痛感。ここから孫文は民衆にも広がるようにより大衆的な政党として中国国民党を結成。ここで現在まで続く中国国民党が成立したのでした。
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