三国時代・三国志中国の歴史

【三国志】押さえておきたい8人の英雄たちーエピソードをご紹介

中国の歴史の中で忘れてはならない最大のドラマは、やはり「三国志」と言えるでしょう。小説の三国志は非常に長編ですが、小説家でもかなりの方が書いています。この小説の三国志はテレビドラマ化もされていますし、マンガにもあり、さらにゲームにもなっています。三国志に出てくる英雄たちの物語について、エピソードを中心にご紹介しましょう。

三国志とは:三国志は人材の宝庫!

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中国の三国志は、後漢末の混乱の時代から始まり、魏、蜀、呉の三国鼎立の時代、最後にはそれらの国が亡びて晋が成立する時代までを描いた小説です。もともと、三国志は、蜀と西晋の歴史を担当する官僚であった陳寿が編纂した歴史書を題材として書かれた小説で、三国志演義として世に現れました。日本でも、吉川英治などが日本語版を描いており、また、横山光輝氏によってマンガにもなり、人形劇も作られています。最近では中国でテレビドラマ化も。映画「レッドクリフ」も三国志の中の赤壁の戦いを描いたものです。金城武やトニー・レオンなどが好演しています。

この小説の三国志は、非常に長編の小説であり、魏、蜀、呉それぞれに英雄、豪傑などの多くの人物が登場し、人材の宝庫とも言える小説なのです。

【魏】にはたくさんの小英雄がいるが、やはり最大の英雄はあの人

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三国志には、魏という国の成立過程が詳しく記載されていて、魏の礎を打ち立てた曹操から後にその魏を乗っ取り、晋の国を打ち立てた司馬仲達の子孫までが描かれています。この魏の国には、その曹操の部下たちに多くの小英雄というべき人たちが多くいますが、やはり大英雄は、国を打ち立てた曹操でしょう。彼の武将にも夏侯惇などさまざまな人物はいますが、三国志の中では突出した人物とは言えません。

ただ、曹操の息子で、後に魏の初代皇帝となった曹丕の先生役から、諸葛孔明の好敵手となった司馬仲達は、最終的には魏の国を奪って晋の国を打ち立てるレールを敷きます。この二人についてエピソードをご紹介しましょう。

稀代の天才策略家で大悪党の「曹操」 英雄を愛する!

曹操は、三国志の最初の段階から登場しています。彼は、小説の三国志の中では、希代の大悪党として描かれており、「治世の能臣、乱世の奸雄」と言われていました。しかし、信長と同じで、非情に徹した天才策略家でしたが、英雄を愛する人間味も兼ね備えていた人物と言えます。それほどの家柄の出身ではなかったものの、人の使い方に秀で、策略家としても優秀で、それ故に三國の中でも最も有力な地位を確立することに成功したのです。

英雄を愛する点についてのエピソードとしては、関羽の凄まじい力を愛して、最大限の礼でもてなし、自分の部下にしようとしたことがあります。結局、関羽は劉備玄徳との義兄弟の契りを破ることをよしとせずに、劉備の居所がわかると曹操の元を離れるのです。それでも曹操は、部下たちが関羽を討たないと後々災いをもたらすと進言しますが、許してしまいます。

しかし、そのことがあったために、映画「レッドクリフ」でも描かれていますが、曹操が赤壁の戦いで敗れ、最後に関羽に待ち伏せされますが、関羽は曹操の恩を忘れず、逃がしてくれたのです。

曹操は、非情な面があり、人を平気で殺す残虐な面もあり、悪党扱いされています。感情は激しい人ですが、関羽に関しては情の部分の豊かな人物として描かれているのです。劉備玄徳に対しても同様な面があり、英雄同士通じるものがあったのでしょう。

イメージが暗い「司馬懿仲達」、でも本当の三国志の勝者

もともと、司馬懿仲達は、曹操の長男で魏の初代皇帝になる曹丕の先生役として登場してきます。腹黒く、何を考えているのかわからない陰湿な策略家でもあったので、曹操は警戒していました。曹操亡き後、曹丕の元で将軍になり、蜀の諸葛孔明が亡き劉備玄徳との約束に従い、魏の討伐に向かった時に、待ち受けたのがこの司馬仲達だったのです。小説三国志の中では少し抜けた面と陰湿な面が描かれ、諸葛孔明の策に翻弄される将軍として描かれています。しかし、曹操はその正体を見抜いており、国を馬に奪われる夢を見て、仲達を遠ざけているのです。

仲達は、諸葛孔明の空城の計に引っ掛かったり、さまざまな策に引っ掛かり、一見滑稽に描かれています。諸葛孔明が死んだ後も、「死せる孔明、仲達を走らせる」という言葉が示すように、最後まで翻弄されているのです。結局、捕まえた捕虜の話から、諸葛孔明には右腕になる者がおらず、全て孔明が判断をしなければならない状況から、体の丈夫でない孔明の寿命は長くないと悟り、持久戦に持ち込んでいきました。やはり、司馬仲達はただ者ではなかったのです。

最終的には、魏の国を奪って三国の統一を果たしたのは司馬仲達を継いだ息子たちで、本来は最大の英雄として描かれてもよかったはずですが、陰湿な性格なために引き立て役に回されているのは残念ですね。

絢爛豪華な【蜀】の英雄たち 最大の英雄「諸葛亮孔」明現れる!

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蜀は、劉備玄徳が、魏の曹操に新野というところを追われる前に、諸葛孔明を迎い入れ、彼の三国鼎立の進言を受け入れて南部の奥地に打ち立てた国です。この蜀には、劉備玄徳以下、数々の英雄が綺羅星のように現れますが、その中でも最大の英雄はやはり諸葛亮孔明でしょう。

度量の大きい人を引き付ける「劉備玄徳」

劉備玄徳は、自らは漢王朝の流れをくむ家柄としていますが、没落した家に産まれ、ならず者から成り上がった人物です。回りの全ての勢力が後漢の皇帝をないがしろにする中でも、漢王朝を重んじ、忠義を尽くす義を重んずる性格であったことから、優秀な英雄たちが集まってきました。そのために、曹操に羨ましがられ、愛されたのです。

劉備は、若い頃に関羽と張飛と出会い、義兄弟の契りを結んだのが、彼の出発点となりました。桃園の誓いとして有名な兄弟の契りであり、三人は死ぬまで契りを破ることはなかったのです。その劉備は、50歳になった頃に諸葛孔明と出会い、三顧の礼で彼を迎えたことで運命が開けます。また、趙雲というやりの名人も劉備の元に馳せ参じ、生涯彼に使えているのです。

関羽も趙雲も、曹操に使えるように誘われますが、二人とも劉備を裏切ることはありませんでした。劉備を裏切った人間は描かれていないのです。それだけ、人間として器が大きく、義を貫いた故に人も集まってきたと言えます。

決して人を見捨てない頑固さ

劉備が新野というところにいたときに、曹操に攻められ、逃げたのですが、その時に新野の住民が皆ついてきます。住民を連れて逃げれば、曹操の軍に追いつかれるので、孔明も関羽、張飛も置いて逃げるように進言しますが、劉備は住民を捨てることは頑なにしません。最後まで連れて逃げ切ったのです。このような義に厚く、どのような状況でも人を見捨てない度量の大きさが劉備の魅力だったと言えます。

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