一党独裁時代
台湾に移転したのち、蒋介石は再び中国に返り咲こうと考え始めていきます。その証拠に台湾は今でも台湾省という扱いで本来であれば中国全土を支配する政党と考えていました。蒋介石はさらには中国に再び攻め上る大陸反攻も考えており、中国への復帰をずっと考えていました。
一方で台湾での国民党はというと一党独裁。やっていることは中国共産党と同じでした。国民党は一党独裁を行うために動員戡乱時期臨時条款(どういんかんらんじきりんじじょうかん)を発令。どういうものかというと総動員を行うために国会の選挙を停止し、総統にほとんどの権利を集中させるというもの。この法律は臨時ですが三民主義を破壊するものだとして批判が集まりましたが、この反対デモを二・二八事件で弾圧。蒋介石による独裁体制が確立されたのでした。
国民党は独裁政治を敷いたことで政治と経済を動かしていき、台湾の近代化を図ります。その一方で戒厳令も敷いたことで国民の生活は著しく脅かされることにもなったのです。
現在の国民党
独裁体制を敷いていた国民党でしたが、1975年に蒋介石が亡くなると一党独裁に綻びが出てくるようになります。台湾では真の民主化を求めるためのデモが行われていき、最終的には蒋介石の息子の蒋経国が政党の結成を承認。一党独裁体制をなくしてこれまでの制度も全て撤廃しました。、また蒋経国の跡を継いで1988年に初めて台湾出身者の総統となった李登輝は1990年に台湾で初めての国民による総統選挙が行われることに。さらにはほとんど機能していなかった国会も選挙が再開されたことで再び機能することとなったのです。
その後の国民党は台湾で新しく結成された民進党との二大政党制と変貌を遂げ、現在では野党として台湾の政党として活躍しているのですね。
中国国民党の思想
中国国民党の理念は孫文が打ち立てた三民主義と呼ばれるものを中心に構成されています。
次は中国国民党が一体どのような思想を持っているのかについて見ていきましょう。
民族の独立と調和(民族主義)
民族主義とは呼んで字のまま。中国では圧倒的に漢民族が多かったのですが、その他にも満洲人やモンゴル人やその他の少数民族も暮らしていました。
孫文はこの中国の民族に対して1912年1月の中華民国臨時大総統就任宣言で「漢・満・蒙(モンゴル人)・回(ウイグル族)・蔵(チベット民族)の諸民族をあわせて一人にする。これを民族の統一とする。」という形で五族協和を掲げました。
現在では台湾に存在しており、ほとんど漢民族しかいませんが、現在でも民族主義は理念として残っているのです。
民権の伸張(民権主義)
民権の伸張とは国民が得るべき権利のことを意味している。
民権主義とは、個人の基本的人権のことではなく、ひとつの国家を創り上げるために必要な国民の権利としての民権という風に捉えることができます。
孫文は、当時の中国人たちの状態を「すぐにバラバラになってしまう砂のような民だ」とたとえていて、その理由として個人に自由が多すぎるからだと考えていました。
そして中国人には自由が多すぎるからこそ、革命で皆がひとつになることを意識し、中華民族としての自覚を芽生えさせる必要があると考えたのです。
そこで中国国民党が憲法を作るときに使ったのが五権憲法。この憲法は従来の三権分立の三権(行政・立法・司法)の他に官僚の採用を行う考試と官僚や公務員が適切に働いているのかをチェックすること監察を加えて国民が適切に政治を行えるようにしたのです。
国民生活の安定(民生主義)
民生主義は経済的な不平等を改善し貧富の差の解消など国民生活の安定をめざすことです。
孫文は土地や財産を個人のものではなく「みんなのものにする意識を芽生えさせることで貧富の差をなくしていき、中国国民全員の生活を安定させることを目標にしていたのでした。要するに社会民主主義ですね。