三国時代・三国志中国の歴史

臥薪嘗胆の意味と由来は?類語や誤用の例は?歴史的背景もわかりやすく紹介!

「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」という四文字熟語を聞いたことがありますか?この意味は、受けた屈辱を忘れず、強烈な復讐心と意思を持ち続けながら苦労を重ねることなのですが、実は、これは古代中国のとあるエピソードに由来します。群雄割拠の春秋時代に起きた臥薪嘗胆の逸話について、時代背景や実際の出来事などを紐解いていきましょう!

1. 「臥薪嘗胆」の意味

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「臥薪嘗胆」の意味は、「薪(たきぎ)の上に臥(ふ)し、肝を嘗(な)めて、受けた屈辱を忘れないこと」です。つまり、復讐を果たすために大きな苦労を重ねることであり、現代では「目的を達成するために、長い間努力すること」という意味となります。では、「臥薪嘗胆」の使い方や類義語、対義語などについてご説明しましょう。

1-1. 「臥薪嘗胆」の使い方・例文

臥薪嘗胆の使い方はこのようになります。

「第一志望校合格のため、臥薪嘗胆し勉強に励んだ」

また、

「昨年は決勝で敗れたが、そこから臥薪嘗胆の思いで練習してきた結果、ついに優勝することができた」

などとも使えますね。

臥薪嘗胆という言葉を使うためには、「目的の達成のための努力」と、それが「長い間続いだこと」がポイントとなります。そのため、短期間での努力を指すときには、臥薪嘗胆は使えません。

1-2. 「臥薪嘗胆」の類義語

臥薪嘗胆の類義語には、「捲土重来(けんどちょうらい)」や「汚名返上」などの四字熟語が挙げられます。捲土重来は「一度は敗れたが、その後巻き返すこと」という意味であり、汚名返上は「一度失敗し、それによって被った悪い評価を覆すこと」です。「復讐を果たすために苦労を重ねる」という、臥薪嘗胆の本来の意味と似ていますね。

また、「越王之胆(えつおうのたん)」や「坐薪懸胆(ざしんけんたん)」とも同じ意味です。これらは後で登場する臥薪嘗胆の由来の項目で触れますね。

1-3. 「臥薪嘗胆」の対義語

臥薪嘗胆の対義語としてよく挙げられるのが、「再起不能」や「一蹶不振(いっけつふしん)」などです。再起不能は文字通り「再び起きることが不可能になる」、つまり「立ち直り元の勢いを取り戻すことができなくなる」ということですね。

また、一蹶不振は「一度の失敗で挫折してしまい、再起できなくなること」という意味。「蹶」には「つまずく・倒れる」という意味があるのです。

2. 臥薪嘗胆の故事が起きた経緯

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「薪(たきぎ)の上に臥(ふ)し、肝を嘗(な)めて、受けた屈辱を忘れないこと」というのが臥薪嘗胆の意味ですが、これは古代中国の故事に由来しています。呉(ご)王・夫差(ふさ)と越(えつ)王・勾践(こうせん)という2人の王は互いに争い、一度は夫差が勝ち、次は勾践が勝ちました。夫差が敗れた時には「薪の上に臥して」勾践への雪辱を誓い、勾践が敗れた時には「胆を嘗めて」夫差への復讐を誓ったわけです。

2-1. 呉と越の関係

時は古代中国、春秋時代のこと。

春秋時代とは、紀元前770年から紀元前5世紀ごろまでを指します。多くの国家が割拠し、盟主をなるのを誰もが狙う時代でした。

そんな中に、呉と越という国がありました。呉は現在の江蘇省蘇州市、越は浙江省紹興市付近にあった国で、両国は国境を接していました。つまりは、しのぎを削り合っていたというわけですね。

2-2. 呉を全盛に導いた王・闔閭

呉王・闔閭(こうりょ)の代になると、呉は隆盛をきわめました。名臣・伍子胥(ごししょ)や兵法家の孫武(そんぶ)に恵まれた闔閭は、南の大国・楚(そ)とも互角に対抗し、一時は滅亡寸前にまで追い込むほどの勢いだったのです。

しかし、その隙を衝いてきたのが隣の越王・允常(いんじょう)でした。越に攻められたことで、闔閭は楚にとどめを刺すことを断念せざるを得なくなり、撤退します。闔閭はこのことを深く恨み、允常が亡くなると、越へと攻め込んでいったのです。

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