日本でも大人気!奇想天外・心躍る冒険物語「西遊記」を徹底解説!
「西遊記」とは?作者は?いつ頃書かれたものなの?
「西遊記(さいゆうき)」とは中国で描かれた冒険物語。「三国志演義」「水滸伝」「金瓶梅」とともに「中国四大奇書」のひとつにも数えられ、長年多くの人々に愛され続けてきた名作です。日本でも大変人気があり、それほど興味がない人でもタイトルくらいは一度は聞いたことがあるはず。そんな有名な「西遊記」ですが、実は謎めいた部分も多く、誰がいつ頃書いたものなのか諸説あるのだそうです。いったいどんな物語なのか、まずは「西遊記」の基本情報についておさえておきましょう。
奇奇怪怪・奇想天外「西遊記」の世界とは
「西遊記」は16世紀頃、中国(明王朝)の時代に大成したと考えられています。もともとは伝奇小説または章回小説(中国で作られ発展していった短編形式で回を分けて記述された物語)であり、全100回から成る大作として世に広まっていきました。
大まかなストーリーは、唐の時代の僧侶・三蔵法師が、孫悟空、猪八戒、沙悟浄をお供に従え、妖怪に行く手を阻まれ数々の苦難に見舞われながらも一路天竺を目指すというもの。各回ごとに邪悪で奇妙な妖怪たちが登場し、孫悟空たちがそれらを様々な術を使って退治する様が痛快で大人気となりました。
その内容はとにかく奇想天外。登場する妖怪たちも不思議な力を持つやっかいな連中ばかりで、その世界観に引き込まれ、圧倒されること間違いありません。
特に人気なのが孫悟空。破天荒で豪快、勇敢でたくましく行動力のある姿が多くの人々の心をつかみました。
日本でも江戸時代に入ってから広く知られるようになります。今まで小説や漫画、テレビドラマなど様々な形で世に送り出され、日本でも大変人気が高いです。
モデルがいる?主人公のひとり「三蔵法師」とは
三蔵法師にはモデルになった人物がいると言われています。唐の時代、600年代中頃に実在した僧侶、玄奘(げんじょう)です。
玄奘は629年、まだ唐王朝が確立して間もない頃に、険しい山道を辿って西方をめざし、インドへと渡ります。そしてインドで修行を積み、645年までインドに留まって仏教研究を修めたのです。帰国に際して玄奘は、数多くの経典や仏像などを唐へ持ち帰ります。そして経典の翻訳や仏教の布教に生涯を捧げたのだそうです。
また、玄奘は自身の旅の記録を「大唐西域記」という書物として書き残しています。さらに、没後に伝記として「大慈恩寺三蔵法師伝」が編纂され、これらはいずれも、仏教に限らず広くインドや中央アジアの様子を知る貴重な資料となっていきました。
主にこの2つが「西遊記」のもとになったと考えられています。
原作者不明?成り立ちも奇奇怪怪な「西遊記」
日本でも大変人気の高い「西遊記」、中国での人気は言うまでもありません。誰もが知る冒険物語のはずですが、実は誰が書いたのか、諸説あって今なおはっきりしていないのだそうです。
ただ、モデルになったと言われている玄奘は唐の時代のお坊さんなので、元ネタはその頃からあったと考えることも容易。玄奘によるインドへの旅の話は、玄奘の生前から既に伝説のように言い伝えられており、そこから何かしら物語が誕生していった可能性は高そうです。
想像するに、当時の人々にとっては、険しい山脈や砂漠を徒歩で乗り越えた玄奘の行動はとてつもない偉業に思えたのでしょう。
そのため、伝承の際に様々な脚色がなされたとしても何ら不思議はありません。当時はまだ、インドがどういう場所か知らない人が多く、インドや中央アジアのイメージと玄奘の旅の話が結びついた冒険物語が作られていった可能性も示唆されています。
こうした物語が長い間、人々の間で口伝えに伝わり、16世紀頃になって「西遊記」というサーガが確立。ただ、全100回から成るこの大作を、最終的に誰が創作し世に送り出したのか、その点についてはいくつかの説があり、結論には達していないのだそうです。
最終回はどうなるの?「西遊記」のあらすじとは?
では次に「西遊記」のおおまかな内容について見て参りましょう。小説やテレビドラマなどで大体の流れはご存知かと思いますが、もとになる物語は100話から成る大作です。どんなストーリーなのか、かなり駆け足ですが、ざっくりとご紹介。物語は主に、孫悟空が五行山に閉じ込められるまでと、三蔵法師らと一緒に天竺を目指すパートに分かれます。
サル界の王・孫悟空の誕生
あるとき、花果山(かかざん)という山の岩から不思議な力を持った石ザルが生まれます。
このサル、霊力だけでなく行動力もあり度胸は満点。周辺の猿たちを従えて美猴王と名乗ります。それからサルは何百年もの間自由気ままに暮らしていました。しかしあるとき、自分の命もいつかは尽きるのだろうかと考えるようになります。
石ザルは孫悟空という名を授かり、不老不死を目指して地上で様々な術を身に付け、一息で世界の果てまで飛んでいける雲(きんとうん)や最強武器・如意棒も入手。天界でも大暴れをして天の玉帝たちを困らせ、不死身の身体まで手に入れる始末。とうとう玉帝が釈迦如来に相談する事態となってしまいます。
「オレは地の果てまでも飛んでいけるぜ」とイキる悟空。本当に地の果てまで行けるのかお釈迦様と賭けをし、きんとうんで人っ飛び、地の果てらしきところまで行ってきましたが、そこはなんとお釈迦様の手の中。実際にはお釈迦様の手の中をぐるっとひとまわりしただけだったのです。
とっさに逃げようとした悟空ですが、お釈迦様は逃しません。あわれ孫悟空は五行山の中に閉じ込められてしまったのです。
玄奘三蔵について西へGO!
それから五百年が経過。唐の時代、下界の乱れを心配したお釈迦様は、手元にあるお経を誰か立派な僧侶に託したいと考えます。
釈迦如来の命を受けた観音菩薩は、早速適任者探しに奔走。ありがたいお経を取りに行くにふさわしい玄奘三蔵という僧侶を探し出します。
同時に、玄奘のお供として、過去に悪いことをして閉じ込められ恩赦を待っている妖怪たちの中から、猪八戒(ちょはっかい)と沙悟浄(さごじょう)が選ばれました。さらに、竜王の息子で馬の姿に化けている玉竜(ぎょくりゅう)も、玄奘三蔵のお供に加わります。
そしてこのお供に、我らが孫悟空も加わることになるのです。
しかし長年、お山のボスザルだった悟空は三蔵に対しても反抗的。全然言うことを聞きません。そこで玄奘三蔵は観音菩薩から授かった輪っかを悟空の頭に。呪文を唱えるとその輪がキューッと締まって悟空の頭を締め付けます。あまりの痛さに、悟空もようやく言うことを聞くようになりました。