イギリスヨーロッパの歴史

世界にまたがる大帝国「イギリス」の歴史はどんな?わかりやすく解説

第二次世界大戦とイギリス

image by PIXTA / 23058984

ヒトラーは1939年にかつてドイツの領土であったダンツィヒの割譲とポーランド回廊の自由通過を要求。ポーランド箱の割譲に断固として拒否し、ドイツはポーランドに侵攻することになりました。イギリスはこのポーランド侵攻のときにようやく融和外交ではどうすることもできないと気づき、ドイツと戦争することを決意。いわゆる第二次世界大戦の火ぶたが切られたのです。

ヒトラーはポーランド侵攻の少し前にソ連と間で独ソ不可侵条約を締結。ソ連は東部ポーランドとバルト三国の併合を容認してポーランドを挟み撃ちにするとともに、ドイツ自体が挟み撃ちになることを防ぎました。

その一方でイギリスはというとポーランドを救援する軍隊を送ることはなく静観。その結果ポーランドはあっさりと降伏してしまい、西側諸国の侵攻を開始していくようになります。

ヒトラーはポーランドを下した後にノルウェーとデンマークに侵攻。ノルウェーとデンマークを電撃戦によってあっさりと降伏に追い込みます。

チャーチルと大英帝国の意地

イギリス本国ではチェンバレン首相の責任を追及していき、チェンバレン首相はノルウェー降伏の責任を取って辞任。その次に海軍大臣で主戦派であったチャーチルが首相となり二大政党であった保守党と労働党の大連立内閣を組織。

ドイツがドーバー海峡を渡って攻めてくることを想定して防備にあたります。しかし、チャーチルが首相になった当日にドイツはオランダとベルギーに侵攻。あっさりと蹂躙してさらにはフランスも怒涛の勢いで攻め潰していきます。イギリス軍はなんとかダンケルクから撤退に成功して被害はあまりなかったのですが、フランスは攻撃に耐えることはできず1940年5月に降伏。ドイツはフランスの北半分と大西洋沿岸部を占領しました。

こうしてヨーロッパで孤立したイギリス。ドイツはイギリスを降伏させるためにドーバー海峡を渡ってイギリスに上陸することを画策。その前段階として首都であるロンドンに対して空爆を行っていくことになります。

イギリス国民がスコットランドに疎開したり、ロンドンの市街部が空爆によって破壊されていきますが、イギリスが前から準備していたレーダー機能やイギリス空軍の善戦によってなんとかドイツ軍の上陸を阻止。

ドイツの矛先はソ連に向かうことになり、イギリスが攻められる事は無くなりました。

その後イギリスは1941年に太平洋戦争が起きた時には香港やシンガポールといったアジアの重要拠点を失陥。一気に苦境に追い込まれます。しかしアメリカの参戦や独ソ戦の逆転などによって戦況は逆転。1945年にドイツと日本が降伏したことによって第二次世界大戦が終結しました。

現在のイギリス

こうしてイギリスは再び戦勝国となりましたが、イギリスが受けた被害は計り知れないものでした。

イギリスの植民地のほとんどは独立。インドも1948年に独立して実質的に大英帝国は崩壊したのです。

イギリスはアメリカと並ぶ資本主義国家として西側諸国として冷戦の時代を歩んでいくことになります。1952年には核兵器保有を達成。軍事的な権力を保持し続けようとします。

その後サッチャーの時代に入るとイギリス経済の復活を掲げて小さな政府を実行。その保守的な政治内容から非難を浴びることもありましたが、それでもイギリスの黒字化に成功します。

しかし、イギリスを取り巻いている環境はどんどん悪化の一途を辿っていくように。イギリスはEUに加盟していましたが、イギリスの国内を優先するべきという考えから2016年にEU離脱を可決。いわゆるブレグジットと呼ばれる形でEUからの脱却を行っているのです。

イギリスの歴史は栄光の時代でもあった

image by PIXTA / 22564989

イギリスが歩んでいた歴史はまさしくヨーロッパの歴史であり、全世界に影響を与えることとなります。イギリスの歴史はまさしく栄光の道でもあったのですね。

1 2 3 4
Share: