平成日本の歴史

今思うと「平成」はどんな時代だった?分野ごとにわかりやすく解説

1989年から2019年まで30年続いた平成。30年という短い間でしたが、この時代で日本ではいろんな分野で大きな変化が起こりました。 今回はそんな平成に起こった出来事をいろんな分野から見ていきたいと思います。

平成時代の簡単な概要

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平成時代は1989年から2019年までの30年の間現在の上皇さまが即位していた期間のことを指しています。平成という名前の由来は『内平外成』という史記の一節からとられており、国のうちと外で平和が達成されることという意味が込められているのです。

この平成の時代の間に技術は一気に進み、日本や世界の人々の生活は大きく変わるなどの変化が起こりましたが、その裏で世界では様々な悲劇や事件が起こってしまいました。

平成の歴史【政治編】

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平成の日本の政治はまさしく山あり谷ありの連続でした。昭和時代に政治を支えていた社会党が一気に没落することになると日本では多角的な新党が次々と現れていきいわゆる新党ブームが到来することに。この新党が日本の政治を大きく変えていくことになります。

自民一強の崩れ

昭和時代後期。この時代は自民党の歴史と言ってもいいほど自民党一強の時代が続いていました。1955年の自民党結成以降自民党は過半数割れは度々あったものの議席数第1党はずっと維持しており、自民党がずっと政権を握っているような状態でした。

しかし、1989年(平成元年)に竹下登首相が消費税3%導入やリクルート事件、アメリカの圧力によるオレンジ自由化などが原因で自民党をこれまで支えていた支持基盤が次々と離れていく事態となってしまい、第15回参議院総選挙では自民党は過半数割れ。さらには竹下登の後を継いだ宇野宗佑の女性スキャンダル。自民党No.2であった金丸信の東京佐川急便事件。さらに極め付けには自民党最大派閥であった経世会が真っ二つに分裂するなど大混乱時代に突入。自民党が強かった時代は終わりを迎えてしまったのです。

新党ブームと55年体制の崩壊

こうして自民党の基盤が少しずつ崩れていくようになった平成時代初期。次に総理となった宮澤喜一はこの状態を巻き返そうとはかりますが、自衛隊のカンボジア派遣問題などで急速に支持を落としてしまい内閣不信任案が可決。衆議院選挙に突入することとなります。

このとき暗躍したのが現在国民民主党の議員となっている小沢一郎。もともと自民党の幹事長となっていた彼ですが、内閣不信任案が可決されるとこのとき自民党を離党した人々を集めて新生党を結成。さらに日本新党・新党さきがけといった新党が次々と結成していくようになり日本では新党ブームが巻き起こることとなります。

新党ブームの流れに乗ったこの衆議院選挙では自民党が大敗。新党が次々と躍進するようになり、自民党はついに結成から初の野党に転落。1993年(平成5年)に日本新党・新党さきがけ・新生党・公明党・民社党・日本社会党・社会民主連合・民主改革連合の7党1会派が連立した非自民連立政権の細川内閣が成立し、55年体制は崩壊することとなったのです。

しかし、さすがに7党が寄り合い所帯で成り立っているようなこの内閣は運営がスムーズに進んでいくはずもなく最終的には崩壊。すんなりと自民党政権が復活することとなります。

新進党と民主党

自民党体制の崩壊に伴ってこの頃グロッキー状態となっていたのが社会党でした。社会党は長年や野党第一党の地位を保っていましたが、80年代に入るとその勢力を落としていきマドンナ旋風を巻き起こすもののジリ貧という状態にありました。さらに社会党の凋落を決定づけたのが村山内閣の時。村山内閣は1995年に誕生した自民党・社会党・新党さきがけの三党からなる自社さ連立政権でしたが、この時社会党は最大の主張であった自衛隊の違憲を撤廃。さらには日米安保条約も承認してしまいこれまでの社会党のセオリーを全無視するという大事態に。これによって左翼層からの支持を全て失うこととなり社会党は低迷することとなります。

一方で革新勢力の新党結成もこの頃に行われていくことになりました。

自社さ連立政権で野党となっていた新生党・公明党の一部・民社党・日本新党・自由改革連合などが結集。海部俊樹を代表とした新進党が結党することになります。さらには社会党の離反勢力が鳩山由紀夫と菅直人を中心として民主党が結成。社会党のこれまでの役割を新進党と民主党が受け継ぐという形となりました。

新進党はやがて党内の対立によって崩壊することとなりますが、民主党はここから先しばらくの間自民党との二大政党制が確立されていくことになります。

小泉純一郎の改革とねじれ国会

こうして民主党と自民党の二大政党制が確立されていくようになりましたが、こんな状態でも自民党の一強は続いており、橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗と自民党の政治家が内閣を組閣していくようになります。そして2001年に小泉純一郎による小泉内閣が成立。小泉時代が幕を開けることとなります。

小泉純一郎は聖域なき改革を実行し、日本の行政改革に着手。特に郵政省の民営化は国会の紛糾を招き2005年には郵政解散を実行し郵政民営化を実現するなど半ば強引ではありますが政治改革を実行して2006年に総理を辞任しました。その後には第一次安倍内閣が発足するのですが、あまりにも急すぎる改革に疲れたのか次の参議院選挙で民主党に過半数を取られるという大敗北を喫してしまい、日本は衆議院と参議院で与党が違うねじれ国会の時代に突入してしまいました。

ねじれ国会というのは与党がそれぞれの議院で違いますから法案が通りにくいという致命的な欠点があります。そのため改革は思うように進むことはなく、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎と首相がコロコロ変わってしまうという事態となってしまったのです。

最終的には2009年の衆議院選挙にて自民党は民主党に大敗北。自民党は第二党に落ちてしまい民主党時代となりました。

民主党の混乱

こうして民主党が与党となりましたが、民主党はこれまでの官僚政治をやめ、さらには天下りを辞めさせるために国家戦略室と行政刷新会議を設置。行政のチェックを強化して天下りが起きないようにします。

さらには民主党は子ども手当と高速道路の無料化などを公約に掲げて生活によりそう政治を行おうとしたのです。

しかし、あまりにも理想すぎる内容と財源を無視した内容であったため計画は思いっきり頓挫。高速道路の無料化は一部の地域に留まり、子供手当も十分に行うことはできませんでした。

さらには普天間基地問題や民主党内での天下り問題、極め付けには2011年の東日本大震災における対応が酷いということもあり、支持率は急降下。結局2012年に自民党が与党に復活。民主党はわずか57議席しか獲得することはできず民主党時代は終わりを迎えることとなります。

現在の日本の政治

こうして自民党政権に戻ることになった日本の政治。新しく自民党の総裁となった安倍晋三が第二次安倍内閣を組閣し自民党の政治が再び幕を開けたのでした。

安倍晋三は日本の長いデフレ状態をなんとか脱却しようといわゆるアベノミクスを実行。景気対策を行いながら景気を回復しようと画策していきます。

そのおかげが株価は2万円を越すなどある程度の結果を出すことには成功しましたが、デフレを完全に脱却することはできず、この時代の課題として残ることになりました。

一方で野党に下野した民主党はやがて合体と離散を繰り返していくようになり、民主党は維新の党と合併して民進党に。さらには民進党も分裂して立憲民主党・希望の党・国民民主党になるなど野党は迷走を続けていきます。

そのためが自民党に太刀打ちできない政党しか現れず、自民一強の時代が再びやってくることになりました。

また、2013年には東京にて二度目のオリンピックが2020年に開催することが決定。日本の観光業や建設業が活発化する期待が持たれています。

日本は自民一強の中で新しい道を歩んでいくことになるのでした。

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