スペイン内戦までのあらすじ
スペイン内戦が起こる前、スペインではかつての太陽の沈まぬ国と呼ばれたような広大な植民地を持っていたあの時代とは打って変わってしまい、第一次世界大戦の影響をもろに受けてしまう弱小国家に落ちぶれていました。
しかし、それだけではあの泥沼の戦争につながるとは思えません。そこでまずはスペインがどのようにして内戦状態に突入していったのかについて解説していこうと思います。
第一次世界大戦におけるスペイン
かつて『太陽の沈まぬ国』と呼ばれていたイベリア半島にある国スペイン。しかし、この国はイギリスやフランスが台頭してきたことによって没落。19世紀に入ると新興国アメリカにも負けてしまいパッとしない状態でした。
そんな中、1914年に第一次世界大戦が勃発。スペインは国内の混乱もあってか中立国として参戦はしなかったものの、この戦争によって国内の経済は大混乱。労働者の生活は一気に苦しくなってしまい、さらにはロシアにおいてロシア十月革命が起こったのも要因となり、社会主義を目指す労働者の運動が国内で活発化していきます。
政府としたら社会主義国化してしまったら大迷惑な話です。そこで戦争が終結してから5年後の1923年にミゲル・プリモ・デ・リベラという軍人がクーデターを起こして軍事独裁を開始。社会主義運動家や運動に参加した労働者を弾圧しながら、国内の経済を育成。なんとかこの混乱を収めようとしたのです。
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スペイン王制の廃止とスペイン共和政
こうして軍事独裁の下で発展していくようになったスペイン。しかし、1929年にアメリカのウォール街で始まった株価の大暴落を決起として世界中で世界恐慌が巻き起こるとスペインの経済は一気に崩壊。政府の要人たちはみんな失脚してしまい、押さえ込まれていた労働者の運動が再び活発化していきます。
そして、この活発化した労働者の運動はスペインを治めていた王室にも波及。王制を打倒する共和派の政治家が一気に躍進して1931年の総選挙では圧勝。1932年には当時のスペイン国王アルフォンソ13世は退位へと追い込まれてしまい、スペインで第二次共和政というの共和政の国家が成立したのでした。
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第二次共和政の混乱
こうしてスペインは共和制となりましたが、これまで王政だった国がいきなり共和制になってまともに政治ができるはずがありません。(例:フランス革命後のフランス・アラブの春後のアラブ諸国)もちろん、スペインも例外ではなく国内情勢は大混乱。1932年には男女普通選挙が行われましたが、この選挙において共和派は大敗北。古き良き政治を目指す右派が政権を握るようになり、共和制でありながらファシストを信奉している人物が入閣するなどその内情はお世辞にも良いとは言えませんでした。
もちろん、共和派の人たちはこの状況を黙ってみることはありませんでした。
1934年には共和派は社会主義者と労働者と結託してゼネストに入り蜂起。これはモロッコにいた政府軍によってあっさりと鎮圧されてしまいましたが、この政府軍の参謀にのちの主人公の1人となるフランコ将軍がいたりとまさしくスペイン内戦の前哨戦とも言える構造が確立させて内戦へと着実に進んでいました。
内戦の勃発
ゼネストの鎮圧は社会主義の親玉であったソ連が目をつける結果となり、1935年の第七回コミンテルン大会において社会主義政党はスペインのファシズムに対抗するべく反ファシズム人民戦線を構築することを決定。これまでバラバラだったスペインの左派政党をひとまとめにして1936年の選挙に臨みました。
結果は左派政党の圧勝。これまでのファシズム政権は転覆され、新しく人民戦線内閣が誕生しました。
しかし、人民戦線が内閣を組織すると身が危ないのがかつて人民戦線にいた人を弾圧したモロッコの政府軍でした。特にこの頃台頭していたモラ将軍は人民戦線内閣を転覆させようと反乱を計画。1936年7月にはモロッコを拠点として反人民戦線の反乱軍を結成して本土に侵攻。ついにスペイン内戦が勃発したのでした。
スペイン内戦における各国の反応
さて、このような複雑な過程によってスペイン内戦は勃発しましたが、この内戦はのちに第二次世界大戦の前哨戦と呼べるほどたくさんの国が介入する内戦でもあったのです。
次はそんなスペイン内戦において各国はどのような動きを見せたのかを見ていきましょう。