イギリスフランスヨーロッパの歴史

英がナポレオン軍を粉砕?1805年の激闘「トラファルガーの海戦」を熱血解説!

ロンドンのウェストミンスター地区に「トラファルガー広場」という名所があります。周囲には国立美術館などもあり、観光客の多い場所。中央にある噴と、ひときわ高くそびえる巨大な石柱が目を引くこの広場、1805年の「トラファルガーの海戦」という戦いの勝利を記念して築かれたものなのです。「トラファルガー広場のことは知っているけど、トラファルガーの海戦って誰と誰が戦ったの?」という人も多いかもしれません。そこで今回の記事では、イギリスの大きな分岐点にもなった「トラファルガーの海戦」に着目。歴史的背景から海戦の様子まで、熱く解説いたします。

誰と誰が戦った?「トラファルガーの海戦」が起きるまで

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トラファルガーという名称は、スペインの南端、ジブラルタル海峡を挟んでアフリカ・モロッコの対岸にあたる地域。大西洋に面したトラファルガー(トラファルガル)という岬からきています。トラファルガーの海戦はこの岬の西の海域で展開。大艦隊同士が激突する激しいものとなりました。ではなぜ、この場所で海戦が始まったのか、誰と誰が、なぜ?トラファルガーの海戦が始まるまでの流れを見ていきましょう。

ヨーロッパを席巻!時代の先頭を行くナポレオン

トラファルガーの海戦が始まったのは1805年10月21日。この時期、ヨーロッパは「ナポレオン戦争 (1799年~1815年)」と呼ばれる激動の渦中にありました。

ナポレオンとはご存じナポレオン・ボナパルトです。

フランス革命後の揺れ動くフランスで軍人としての才能を発揮し、周囲の国々を次々と制圧していったナポレオン。ヨーロッパのほぼ全土を手中におさめて絶大な政権を握り、ついには人民出身でありながらフランス皇帝の座についた絶対王者です。とどまるところを知らないナポレオンが侵攻のために起こした戦争を総称して「ナポレオン戦争」と呼んでいます。

フランス vs ヨーロッパの国々……。18世紀末頃から、ヨーロッパにはそんな構図が浮かび上がっていました。

なぜなのでしょう……。ヨーロッパ各国は、ナポレオンが台頭する前から、フランス革命が勃発したフランスの動向をよく思っていませんでした。当時はまだまだ、国王が民衆に倒されるなど考えられないこと。明日は我が身。自分の国の民衆たちも、いつ、フランス革命軍に触発されて反乱を起こすかわかりません。

民衆の動きを警戒するヨーロッパ各国は、フランス革命軍を警戒。たびたび争いが起きるようになります。

そんなときに立ち上がったのが英雄・ナポレオン。ナポレオンは最初、対イタリアの司令官でした。

絶対諦めない!ナポレオンによるイギリス侵攻計画

イタリア制圧を皮切りに、ヨーロッパ各国との戦争で成果をあげていくナポレオン。しかしそこに、イギリスという国が立ちはだかります。

目障りなイギリス!黙らせるには経済的に締め上げるしかない……。当時のイギリスは、インドとの交易で儲かっていましたので、その邪魔をすべく、途中にあるエジプトに侵攻するなど、対イギリスを意識した作戦を次々と展開していきます。

しかし、ナポレオンが攻めなければならない国はイギリスだけではありませんでした。

また、陸路では圧倒的な力を誇るフランス軍も、海となると話が変わります。

現に1798年、ナポレオンはエジプト遠征で、イギリス艦隊と激突し、大敗した苦い経験を持っていました。

おのれイギリス!何としてもイギリスに上陸してひれ伏させてやる!ナポレオンはあきらめません。

ナポレオンは1804年からたびたび、イギリス上陸計画を決行しますが、イギリス艦隊に阻まれ、なかなかうまくいきません。

フランスとイギリスは、海を隔ててお隣同士の国。ドーバー海峡(カレー海峡)は34キロメートルほど。現代では英仏海峡トンネルが開通し、鉄道で行き来できる両国ですが、ナポレオンの時代は、海を制しないことには勝利はありません。

ナポレオン戦争開始後から孤立気味だったフランスは、ここへきてスペインと同盟を結びます。フランス・スペイン連合軍は地中海側からドーバー海峡へ向かい、イギリスを攻撃しようと考えたのです。

イギリスを守る常勝指揮官・ネルソン提督とは

一方のイギリスも、この状況に戦々恐々です。

どんなことがあっても、フランスを上陸させてはなりません。

エジプト戦役では、イギリス軍はフランス軍を打ち破っています。この時指揮をとっていたのが、ホレイショ・ネルソン提督です。トラファルガー広場の巨大な石柱のてっぺんにある石像の人、といえば、ピンとくる人も多いでしょう。

このネルソン提督という人、とにかく強い。卓越した戦術と並外れた度胸で数々の戦いを勝ち抜き、イギリス艦隊に勝利をもたらした名将です。

しかもなかなかの美形で女性にもモテモテ。カリスマ性に富み、部下からも慕われ信頼されていた伝説の軍人。とにかくすごい人だったようです。

そんなネルソン提督ですが、トラファルガーの海戦の少し前、1797年にスペイン艦隊との戦いで敵陣に特攻し、自ら銃弾を浴びて負傷。右腕を失い、右目も失明してしまいます。

普通なら引退を考えるところですが、ネルソン提督は戦場に立ち続けました。「隻眼・隻腕の提督」となったネルソン提督。この翌年に起きたのが、ナポレオンによるエジプト侵攻でした。

このとき、フランス艦隊を阻んだのが、ネルソン提督率いるイギリス艦隊。フランス艦隊を挟み撃ちし、大半を沈めることに成功します。

イギリス上陸をもくろむフランス・スペイン連合艦隊と、それを阻もうと立ちはだかるイギリス艦隊。戦いの舞台はトラファルガー沖へと移っていきます。

両軍激突!「トラファルガーの海戦」の全容とその後

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皇帝となったナポレオンと、それを阻もうとするイギリス艦隊。海を舞台に、二つの大国が激突する、一触即発の緊張状態が続きます。決戦の舞台はジブラルタル海峡に続くトラファルガー岬を望む海。皇帝を迎え撃つ艦隊を率いるのはもちろん、あのネルソン提督です。どのような結果となったのか、海戦の行方を追いかけてみましょう。

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