ドイツヨーロッパの歴史

X線を発見!ドイツの物理学者「ヴィルヘルム・レントゲン」の生涯をわかりやすく解説

健康診断のときなど必ずと言っていいほどお世話になるのが「レントゲン写真」。体内を撮影し可視化することで、内部の様子を知ることができる画像検査法のひとつとして、医療の現場に用いられている技術。ご存じの方も多いと思いますが、正式名称はエックス線(X線)撮影(えっくすせんせんさつえい)といい、レントゲンとはX線なるものを発見した人の名前なのです。今回の記事では発見者であるレントゲン氏に注目。その生涯について詳しく解説します。

ヴィルヘルム・レントゲンの生涯(1)X線の発見まで

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可視化して物質の内部の様子を撮影することができる特殊な電磁波。エックス線を発見し、誰もが知る存在となったレントゲン博士。病院で「X線」という名称より「レントゲン」と言われたほうがしっくりくる、という方も多いのではないでしょうか。医学界に大きく貢献した人ではありますが、お医者さんではなく物理学者。どんな経歴をお持ちなのか、レントゲン博士の生い立ちについて見ていきましょう。

レントゲンの生い立ちと当時の時代背景

ヴィルヘルム・コンラート・レントゲンは1845年3月27日、ドイツ(プロイセン王国)のライン地方にあるレンネップという町で生まれます。

兄弟はなく一人息子。父は織物工場を営んでおり、家はたいそう裕福だったそうです。現在も、レンネップにレントゲンの生家が残されています。

3歳の頃、一家はオランダに引っ越しており、ユトレヒトの学校に通っていました。

高校卒業後、ギムナジウム(ドイツや近隣国の中等教育機関)の卒業証書を持っていないレントゲンはドイツやオランダの大学に進学することができなかったため、チューリッヒの工科大学に進学。専攻は機械工学でしたが、在学中に物理学者アウグスト・クントの助手となり、物理学関連の論文を発表して博士号を取得します。

レントゲンは長年、学歴に阻まれて大学で教鞭をとることが許されませんでしたが、クントのはからいでいくつかの大学で教師の資格を取得。やがて、一度は却下されたヴュルツブルク大学の物理学教授の座をつかみます。

研究者・大学教授としての功績

ヴュルツブルク大学で働き始めたヴィルヘルム・レントゲン。私生活では、学生時代から交際していた年上の女性アンナ・ラディッグと結婚しています。

レントゲンは大学で教鞭をとりながら、様々な物理実験を実施。積極的に論文も発表しています。

論文に対する評価は高く、様々な大学から正教授の引き合いがくるようになりました。

ときに物理実験をする時間を確保するため、レントゲンはいくつかの大学を転々とします。

大学を移っては実験・研究・論文の執筆。論文が認められてフランスやドイツなど別の大学に招待され、物理や数学を教える傍ら、研究を重ね論文を発表。それが認められ別の大学へ……。

こうしたことを何年もコツコツ重ねて、実績を積んでいきます。

1888年、再びヴュルツブルク大学に教授として戻ってから、電気力学分野の論文を発表し、変位電流現象を実験的に証明。レントゲン電流と呼ばれる現象を発見します。

1894年にはなんと、大学の学長に就任。その後も精力的に物理の研究を続けており、1895年から「放電管」と呼ばれるものにまつわる実験を開始しています。これが、X線の発見へとつながっていったのだそうです。

電流を流す実験中に不思議な光線が!

この頃、真空放電や陰極線といった分野の研究が、多くの研究者たちの間で盛んに行われていました。

空気を抜いたガラス管に電極を入れて電圧を加えていくと、空気中より低い電圧で放電が起こり、管内が光る……。こうした現象が起きることは既に100年以上前から分かっており、レントゲンがX線を発見するより前にも、この光の正体を突き止めるべく、多くの研究者たちが繰り返し実権を行っています。

ガラス管の中の光が磁石の力に影響を受けることも実験によって明らかに。磁力の影響を受ける、正体不明の「線」が出ていることもわかってきていました。この線には、ドイツの学者によって「陰極線」という名前が付けられています。

「陰極線」とは何者か?どういう仕組みで、ガラス管の中では何が起きているのか?

レントゲンもこの研究に興味を示しました。そして、多くの研究者たちと同じように、実験設備を工夫し、現象を再現しようとします。

1895年11月8日、その日はやってきました。

他の研究機関で作られた性能の良い放電管を取り寄せていたレントゲンは、余分な光が邪魔をしないよう、管を厚紙で覆い、部屋を暗くして実験。すると管の近くにあった蛍光板がなぜか輝きを放っています。管との距離を2メートル以上離しても光り続ける蛍光板。明らかに陰極線とは異なる「線」が管から発せられている……。

未知の輝きの正体は?レントゲンは寝る間も惜しんで実験を繰り返したと伝わっています。

ヴィルヘルム・レントゲンの生涯(2)X線発見のその後

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放電管の実験中に発見した未知の現象。長年、多くの研究を積み重ねてきたレントゲンだからこそ、この現象に遭遇することができたのでしょう。生前、人前に出て話をすることが苦手だったというレントゲン。残されている本人の言葉は非常に少ないようですが、きっと大きな興奮を覚えたに違いありません。次に、そんな不思議な現象に遭遇してからのレントゲンの生涯をたどってみたいと思います。

偶然?必然?X線の発見と医学への応用

偶然か必然か?そんな言葉が聞こえてきそうですが、とにかくレントゲンは、ある実験の最中に、未知の現象を発見します。この時レントゲンは、放電管から目に見えない光線のようなものが出ていると考えました。

そこで、放電管と蛍光板の間にいろいろな物を置いて実験。目に見えない不思議な光線は、紙でできた分厚い本や木片は透過しますが、鉛など金属の塊は通らない。熱はなく、間に置いた物質が熱を持つことはありません。

さらに、蛍光板の代わりに写真乾板を置いてみると、写真撮影が可能になることも発見しました。

試しに、写真乾板に手をかざし、数分間かけて写真撮影をしてみると……なんと、指の骨と薬指の結婚指輪だけがくっきりと写ったではありませんか!人骨の撮影写真。歴史が変わる!世紀の発見です。

この時撮影したのは、妻のアンナ・ラディッグの手。この写真は翌年、レントゲンの論文とともに学会に発表され、世界中の人々に衝撃を与えることになります。

1901年・第一回ノーベル物理学賞受賞

この光線のようなものは、磁石を近づけても曲がりません。ここから、レントゲンは一連の現象が「放射線」によるものだと考え、この未知の物質に「X線」という名前を付けます。

「X」とは数学で「未知の数」を示唆する文字。未知の発見をしたレントゲンの心の内が伺えるネーミングといえるのかもしれません。

世が世なら「怪奇現象じゃない?」と一蹴されてしまいそうなスケスケ骨写真。しかし、当時のレントゲンは、数々の実績を積み物理学会で一目置かれる重鎮でしたので、オカルト呼ばわりされることもなく、新種の放射線の存在はすぐに世界に広まっていきました。

「X線」という名前のインパクトも、効果があったようです。

レントゲンは講演会や演説が嫌いで、人前で話すことはほとんどありませんでした。1896年にドイツ皇帝の御前で行ったデモンストレーションと、その後ヴュルツブルクで行った講演が、唯一の講演らしい講演だったと伝わっています。

レントゲンはこの後も、X線に関する実験を続けました。X線は医療の現場で本領発揮。その功績が認められ、1901年、第一回ノーベル物理学賞を受賞するに至りました。

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