ギリシャヨーロッパの歴史古代ギリシャ

地中海で繁栄を極めた「古代ギリシャ」を解説!5分でわかる古代ギリシャの歴史

地中海東部、アナトリア高原とバルカン半島に囲まれたエーゲ海の沿岸にギリシャはあります。ギリシャでは早くからポリスとよばれる都市国家が成立。なかでもアテネとスパルタは後世まで影響を及ぼす都市となります。大敵ペルシアと戦ったペルシア戦争、ポリス同士で覇権を争ったペロポネソス戦争など歴史的名場面が数多くある古代ギリシャの歴史について、わかりやすく解説します。

エーゲ文明とホメロス神話

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紀元前3000年頃、中東地域に成立したオリエント文明の影響を受けながら、青銅器文明であるエーゲ文明が成立しました。エーゲ文明は前半のクレタ文明、後半のミケーネ文明、クレタ・ミケーネと併存していた小アジアのトロイア文明の3つの文明の総称です。

海洋国家クレタ文明と武人の国ミケーネ文明

クレタ文明はエーゲ海にふたをするように存在しているクレタ島を中心に栄えた文明です。青銅器を使用していたことや王による専制政治が行われた文明でした。

クレタ文明はエーゲ海や周辺の海上交易を担う貿易国家だと考えられています。クレタ島に残るクノッソス宮殿の壁画や出土する遺物には海洋動物や花、鳥などが描かれました。自由で明るい雰囲気が伝わりますね。クノッソス宮殿には城壁がなく開放的なのも特徴です。

それに対し、ミケーネ文明の中心はギリシャ本土のミケーネティリンス。堅固な城塞が発掘され、遺物には戦士や狩猟の様子が描かれ、戦闘的・尚武的気風がうかがえます。ミケーネ城内にあった墓からは黄金のマスクなど王の権力を示す黄金製品が多数出土しました。

ホメロスの英雄叙事詩とトロイア文明

古代ギリシャ随一の詩人といえば、ホメロスです。ホメロスが残した『イリアス』や『オデュッセイア』などの英雄叙事詩は今も語り継がれる名作ですね。

『イリアス』はミケーネ文明とトロイア文明の戦いであるトロイア戦争を描いた叙事詩。ミケーネ王アガメムノンを総大将、勇者アキレウス、知恵者オデュッセウスなどに率いられたギリシャ軍がトロイアに攻め寄せます。戦いは10年にもわたって続きました。

かつては、完全に神話だと考えられていましたがシュリーマンがトロイアの遺跡を実際に発見。『イリアス』が史実をふまえて書かれた叙事詩であることを証明しました。

『オデュッセイア』は『イリアス』の続編です。トロイア戦争が終わり、帰国しようとしたオデュッセウスが10年にわたる放浪の末、故国に帰り着く様子を描きました。

古代ギリシャの暗黒時代

紀元前1200年頃、ミケーネを中心とするエーゲ文明は崩壊しました。このころ、「海の民」とよばれる集団が東地中海各地に進出したといわれます。海の民の活動範囲はエーゲ海からエジプト、パレスチナ地方、小アジアになど広範囲に及びました。

海の民はオリエントの大国であるヒッタイトを滅ぼし、エジプト新王国とも戦ったようです。海の民は攻略した土地を破壊し略奪しましたが、その地に定住することはありませんでした。ミケーネの諸都市も海の民に襲われ廃墟と化したと考えられています

紀元前800年ころにポリスが成立するまでの400年間を暗黒時代といいます。暗黒時代といっても文明がなかったというわけではなく、資料がなく詳細なことがわからないという意味で使われた時代名と考えてください。暗黒時代のうちにギリシャは鉄器技術やアルファベットを手に入れたと考えられます。

ポリスの成立とアテネ・スパルタの台頭

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古代ギリシャの有名な哲学者であるアリストテレスは「人間はポリス的動物」であると述べました。古代ギリシャ人にとってポリスは自分たちの生活の基盤となるものだったのです。ポリスの中でも目覚ましい成長を遂げたのが民主主義国家のアテネと軍事国家スパルタでした。アテネとスパルタは時に手を組み、時に対立しましたが大敵であるペルシアには共同で対処します。

ギリシャ各地にポリスができた

暗黒時代の400年間、ギリシャでは鉄器の使用が普及しアルファベットが使われるようになりました。ギリシャ本土にいた人々は徐々にまとまって暮らすようになります。人々が集住することをシノイキスモスといいました。やがて、多くの人々が集まることでポリスが出来上がります。

ポリスはギリシャ本土だけで150を数えました。ギリシャ人が本土を出てつくった海外植民市も合わせると1000以上に達したともいわれます。一つのポリスは数千人から数万人規模。ポリスの住民である市民たちは、戦いが起きると重装歩兵として参戦しました。

城壁で囲まれたポリスの中心には防衛と信仰の中心となる丘(アクロポリス)や市民たちの会合の場である広場(アゴラ)が設けられました。アテネのアクロポリスに建てられたのがパルテノン神殿です。

民主主義を発展させたアテネ

ポリスは比較的小規模なものがほとんどでしたが、アテネは例外的に大きなポリスでした。アテネはギリシャ人の一派であるイオニア人のポリスです。当初は王政でしたが、紀元前8世紀には貴族政に移行。アテネでは商工業が発展し、次第に強くなっていきました。

周辺のポリスとの戦いなどで市民からなる重傷歩兵が活躍すると、市民たちは権利の拡大を貴族たちに求めます。貴族と平民が争うようになると、ソロンは、生まれではなく財産によって参政権を認めるようにしました。

紀元前561年、ペイシストラトスは貧民たちをひきいてアテネのアクロポリスを占拠し貴族政を打倒。独裁者がポリスを治める僭主制に移行させました。

紀元前506年、クレイステネスが選挙制度改革や僭主を追放する陶片追放のシステムを整備することでアテネの民主制は形が整います。アテネでは市民が参加する民会が最高決議機関とされ、将軍職を除く主な官職は抽選や選挙で決められるなど、徹底的に平等な民主制を追求しました。

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