自民党の結成と55年体制
第二次世界大戦前、日本の政界は保守二大政党が力を持っていました。戦争直前、二大政党が解党し大政翼賛会に吸収されます。終戦とともに政党が復活しました。保守系政党は吉田茂率いる自由党と鳩山一郎率いる日本民主党に分かれて争います。1955年、分裂していた日本社会党が再統一し勢力を拡大すると保守陣営でも統合の機運が生まれました。1955年、自由党と日本民主党が合同し自由民主党(以後、自民党)が誕生します。
戦前の二大政党
第二次世界大戦以前、日本では共産党などの革新政党は治安維持法の取り締まり対象のため政党として活動することが困難でした。そのため、帝国議会に議席を持つ政党は保守系や中道系に限られます。
戦前の保守二大政党は、立憲政友会と立憲民政党でした。戦前の中で比較的政党政治が機能した時代が大正時代です。この時代の政党中心の政治を大正デモクラシーといいました。
大正デモクラシーの時は、議会の第一党の党首が内閣総理大臣となり政権を率いる「憲政の常道」とよばれるルールが機能します。
「憲政の常道」とは、政権を担当した政党は選挙で敗北するか、何らかの政治責任を取る必要が出た時に他の政党に政権を譲るという政治的慣例のこと。
しかし、軍部の台頭により政党政治は力を失いました。大政翼賛会が成立すると、二大政党は解党し大政翼賛会に合流します。
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戦後の政党復活と吉田・鳩山の対立
1945年、日本が第二次世界大戦で敗北するとアメリカを中心とするGHQが日本にやってきます。GHQは日本政府に指示を出すという形で占領政策を実施しました。
1945年10月、GHQの指令に基づき政党が復活します。革新系の日本共産党・日本社会党、保守系の日本自由党・日本民主党などが主な政党ですね。
1946年の総選挙で鳩山一郎率いる日本自由党が勝利。鳩山政権が成立するかに見えました。しかし、GHQは公職追放を実施。鳩山は戦前の経歴を問われて公職追放されてしまいます。
かわって自由党を率いたのが吉田茂でした。吉田は5度にわたって組閣するなど長期政権を担います。
公職追放を解かれた鳩山派吉田に政権返上を要求しますが、吉田は拒否。保守政党は吉田率いる自由党と鳩山率いる日本民主党に分かれて争いました。
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保守合同と55年体制
保守系政党が吉田の自由党と鳩山の日本民主党に分かれて争っていたころ、革新政党の社会党はサンフランシスコ平和条約への対応をめぐって右派と左派に分断されていました。
この間、吉田政権による戦前回帰傾向(逆コース)や破壊活動防止法の制定などに対抗するため護憲と反安保、再軍備反対などを主張する社会党左派が勢力を拡大。社会党右派と連合すれば分裂している保守政党の議席数を上回り政権をとれるとの判断から、社会党の右派と左派が再統一しました。
分裂していた日本社会党が再統一すると保守陣営は危機感を募らせ、自由党と日本民主党の合同を促します。その結果、保守合同が実現し自民党が成立しました。
議席数の比率でいえば自民党2弱に対し社会党1強となります。この結果、自民党は政権を握れるものの憲法改正は難しいという膠着状態が生まれました。
この体制を一般的に55年体制と呼びます。
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55年体制の崩壊と自民党の動揺
1955年からおよそ38年間、55年体制は継続しました。しかし、1980年代から1990年代にかけて国民の政治不信の高まりによって自民党の支持は低下。社会党も議席減や分裂によってかつての力を失います。この状況で自民党の一部が離党し非自民非共産の連立政権を樹立し55年体制が崩壊しました。自民党は政権奪還後、小泉政権時代には圧倒的な多数を占めますが、2009年の総選挙で麻生政権が民主党に敗北し再び下野します。その後、2012年の総選挙で自民党が勝利したため、2013年以降は自民党政権が復活しました。
高まる政治不信と細川内閣の成立
自民党は1955年以来、常に与党として長期政権を維持してきました。長期政権下で汚職事件や経費の無駄遣いの発覚などが相次いだこともあり、1980年代後半から1990年代にかけて支持率を低下させます。
1991年に成立した自民党の海部内閣は政治改革をスローガンに支持率回復を狙いますが、政治改革法案が廃案に追い込まれるなど思うように政策を進めることができません。
1991年に成立した宮澤内閣も政治改革関連法案を出しますが、これも廃案となりました。業を煮やした自民党議員は大量に離党。新生党や新党さきがけを結成します。
1993年の総選挙で自民党は惨敗。55年体制のもう一つの軸だった社会党も議席を大幅に減らします。1993年8月、非自民非共産の細川内閣が成立。自民党は結党以来、初めて野党となりました。これにより、55年体制に終止符が打たれます。