平成日本の歴史

今思うと「平成」はどんな時代だった?分野ごとにわかりやすく解説

平成の歴史【経済編】

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平成時代の経済の歴史は波乱万丈。平成に入った途端にバブルが崩壊するなど前途多難な経済体制でした。

果たして日本はどのようにして経済を動かしていったのでしょうか?次は平成の経済について見ていきたいとおもいます。

バブル崩壊と失われた十年

昭和の末期には日本は空前の不動産・株ブームから始まるバブル景気という時代にあったのです。この時代には地価と株価は大暴騰。世界がブラックマンデーなどで苦しいのを横目に1989年(平成元年)12月29日には日経平均株価が最高値をつけることとなりました。

しかし、この一大好景気は日本の経済の実態から離れているものであり、日本銀行はこのバブル景気を潰すためにお金を借りにくくする金融引き締めへの転換と、不動産金融に対する総量規制による政府の地価上昇に対する抑制政策に乗り出すことになります。

しかし、その結果株価は平成2年に日経平均株価が2万円を切ってしまい経済は大混乱。バブル景気が崩壊することになります。

このバブル崩壊からしばらくの間の景気後退期をその期間から失われた10年と呼ばれることとなりました。
また、平成初期は日米間の極度な貿易摩擦によってアメリカが貿易赤字になることもしばしばでアメリカ国民はジャパンバッシングを起こしていくことになります。またアメリカ合衆国からの対日圧力がありました。特にこの対日圧力の成果はオレンジ・牛肉輸入自由化が代表例です。

日本の金融危機

日本の景気は冷え込んだ結果、日本の企業は新卒を取らないようになり就職氷河期に突入。1995年からしばらくの間は経済は回復するのですが橋本龍太郎の時代に消費税を3%から5%に引き上げたり財政構造改革を行ったことによって日本の経済は再び崩壊。この頃経営がだいぶ悪化していた山一証券が破綻。さらには北海道の経済を支えていた北海道拓殖銀行や日本長期信用銀行も破綻するなど日本は金融危機に突入。さらにはアジア全体でもタイをはじめとするアジア通貨危機が起こり韓国全体の経済が破綻寸前に追い込まれてしまう大混乱に落ち込んでしまいました。

まだ日本の混乱は終わりません。このアジア通貨危機や日本金融危機は立ち直ろうとしていた日本の経済に大打撃を与えることとなり、そごう(2000年に破綻)や日本航空(2010年に破綻)といった大企業が次々と倒産。中小企業も次々と倒れていき経済的な理由で自殺者が増加するなどの日本全体での被害も出していくことに。

政府ではいわゆるデフレの状態をなんとかして食い止めるために積極的な財政最善と景気対策路線が採られていき、1999年(平成11年)にはゼロ金利政策の導入と地域振興券という名称の商品券が配られましたが、効果はイマイチ。あまり経済が復活することはありませんでした。

小泉純一郎の財政改革

橋本龍太郎の時代に冷えに冷え込んだ日本の経済。2001年から日本の総理に就任した小泉純一郎は聖域なき改革という形で日本の経済を復活していくことになります。

小泉内閣ではこれまで政府がやっていた駐車監視員を民間人ができるように変更。さらには国の特殊法人であった日本道路公団(現NEXCO)・営団地下鉄(現東京メトロ)・成田空港の民営化。また、株式会社の1円からの設立ができるようにするなどの規制緩和を実施しました。

さらに小泉内閣の最大の事業である郵政省も解体し、郵政三事業などの公共サービスの民営化しました。また銀行ではこれまで10以上あった日本の都市銀行を三井住友・三菱USJ・みずほといった三大メガバンクに統合されるなど銀行の統合が行われていくように。

このような財政計画によって日本は緩やかな経済成長にまで回復。内需は冷え切ったままでしたが外から見ると日本の経済は回復していくようになったのです。しかし緩やかな景気回復の裏で非正規雇用の増大したことによってフルタイムで働いても貧困から脱却できないワーキングプアの存在が表面化。

リーマンショックと日本の経済の最低迷

こうして日本の経済はある程度復活することになりましたが、2008年にアメリカにおけるサブプライムローン問題からリーマンブラザーズが破綻したことによる世界同時危機が発生。日経平均株価が一時7千円を下回る大不景気に突入してしまい、日本の景気は再び落ち込むことになります。

日本では懸命な景気対策によって現在ではある程度までは復活しているものの、このリーマンショックで受けた被害は数知れず。様々な企業が淘汰されていき倒産していくケースが増えていくようになりました。

また、この頃から日本ではいわゆるデフレが加速。円高もあってか日本では節約の嵐に突入してしまいチェーン店では値下げ競争が巻き起こり、企業の業績が上がらずさらには給料もアップせずにその結果消費が落ち込むことに。

貯金することはいいのですが、たまには使わなければ国レベルでは困っちゃうんですよね。

変わりゆく日本の経済

こうして長きにわたるデフレに突入していくようになった日本。日本はその後民主党政権を経て安倍首相の時代がやってくることになります。

安倍首相は量的金融緩和・機動的な財政政策・成長戦略の三つの経済体制いわゆるアベノミクスを使って日本の景気を安定させようとしました。このアベノミクスはある程度は成功したものの肝心のデフレはまだ未解決でありまだまだ道のりは遠いのが現実です。

その一方で日本は観光業を強化。各国にビザ免除を行い始めアニメ・ファッションなどのいわゆるクールジャパンを全面に支援する動きが見られていくようになります。その結果2014年には1341万人の外国人観光客が訪れ観光業の発展を刺激することに。

様々な問題はありながらも日本の経済は着実に進んでいるのです。

平成の歴史【サブカル・流行編】

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平成時代。それは技術が大きく進化してそれに伴う流行やサブカルが大きく変化した時代と言っても過言ではない時代でした。

平成の時代30年の間に日本の流行と文化は何が変わっていったのでしょうか?次は平成時代の日本の流行について見ていきましょう。

平成元年〜平成5年【バブルに揺れた時代】

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平成元年から平成5年までは日本は空前のバブル景気。そのため日本ではお金を使うのがセオリーという価値観が生まれていくようになり、いわゆる海外旅行や海外ブランドを買い漁り、ジュリアナ東京といったディスコで夜な夜な踊ることが日常茶飯事となっていました。

イタ飯とトレンディー

この時代を語る上で外せないのがトレンディドラマ。都会に生きる男女の恋愛やトレンドを描いた現代ドラマがバブルを生きる若者に大受けし、『東京ラブストーリー』『101回目のプロポーズ』などが軒並み高視聴率を叩き出していました。

さらには海外の文化が大量に入っていくことになり、特にイタ飯が大ブームに。ティラミスが日本で定番化したのは平成2年の頃だと言われています。

ファッションの分野では男性は紺ブレ(紺のブレザー)にジーンズを合わせた“キレカジ”が、女性はワンレン(ワンレングス)のロングと無駄に張っている肩パッド。化粧は太い眉とやりすぎぐらいの真っ赤な口紅のメイクが当時のトレンディ。現在では想像もつかないようなことですが、昔の日本では当たり前のことでもあったのです。

ちなみに、ゲームと通信技術が発達し始めたのはこの頃。平成元年にはゲームボーイが発売され、パソコンやポケベル(数字で会話するやつ)などもこの頃からジワリと広まりつつありました。

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