勉強嫌いだった杉田玄白
Haruno Akiha – Haruno Akiha took it., CC 表示-継承 3.0, リンクによる
杉田玄白は享保17年(1733)に小浜藩の医師だった父・杉田甫仙の関係で、江戸の牛込矢来町(現・新宿区)にある藩の下屋敷で生まれました。元文5年(1740)に小浜藩に帰るものの、再び父親が江戸詰めを命じられて延享2年(1745)に江戸に戻ったのですね。子供の時は家にある医学書を読んでもサッパリ理解できなかったので「医者になる才能はない」と思っていたそうですよ。人生面白いものですね。
三男なのに家を継いだ杉田玄白
杉田玄白には2人のお兄さんがいたそうですね。ひとりは早くに亡くなり、ひとりは他家に養子にいったそうで、三男なのに家を継ぐことになりました。継ぐというからには医者にならなくてはなりません。医学は奥医師の西玄哲に、漢学は儒者の宮瀬竜門に学ぶために毎日10キロ通ったという話が残っていますね。
宝暦2年(1752)藩医となって上屋敷に勤めるものの、宝暦7年(1757)には町医者となって日本橋に開業してしまいましたよ。
前野良沢らとの出会い
その年に本草学者の「田村元雄」「平賀源内」らが物産会を開きます。出展者には「中川淳庵」もいたようで、後に『解体新書』に関わる「蘭学者グループ」と交流がはじまったといいますね。本草学というのは薬がメインですので、もちろん医者の「前野良沢」もいたでしょうね。
グループの人たちと交流していく中で、杉田玄白は東洋医学より西洋医学のほうが進んでいると思うようになり、前野良沢や平賀源内と一緒に、江戸時代に唯一交流があったオランダの商館長と一緒に長崎から江戸にきていた通詞(オランダ人との通訳)の「西善三郎」を訪ねてオランダ語を教えて欲しいと頼みます。
しかし一子相伝のように幼い時から耳で覚えてきた(禁止されていたために字は読めなかった)西善三郎に「オランダ語は難しいから、これから学ぶのは無理だ」と諭されてしまったのですね。そこで杉田玄白は諦めてしまったのですよ。反対に前野良沢は興味を深め長崎まで医学の勉強に行った時にオランダ語を多少理解し、学びたいけど忙しくて時間がない平賀源内という三者三様の結果だったそうですね。
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『ターヘル・アナトミア』とであう
宝暦4年(1754)京都で漢方に伝わる陰陽五行説に基づく五臓六腑といわれてきた人体の内臓の絵(カワウソがモデル)に疑問をもった「山脇東洋」が、京都所司代の許しを得て日本初の処刑された罪人の腑分け(人体解剖)をし、西洋医学の書物による正確さを証明していました。
『蘭学事始』によると、明和8年(1771)に中川淳庵がオランダ商館院から借りたオランダ語医学書『ターヘル・アナトミア』を持って訪ねてきたとあります。この本は元々ドイツ人医師クルムスが著述した解剖書のオランダ語翻訳本で原題は『オントレードクンディゲ・ターフェレン(解剖書)』だそうですね。
オランダ語は読めなかったものの精密な人体の解剖図に驚いて、父が亡くなったことから藩医に戻った杉田玄白は藩に相談して買ってもらいました。ちょうど同長崎留学から帰ってきてこの本を持っていた前野良沢も一緒に「千寿骨ヶ原」(現・東京都荒川区小塚原刑場跡)で死体の腑分けをするというので出かけたのですよ。
解体新書の始動
Momotarou2012 – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる
明和8年(1771)3月4日、山脇東洋以来たまに行われていたらしい腑分けですが、どの医者も「箔がつく」という感じで見るだけで喜んで帰るだけなのに、杉田玄白・前野良沢・中川淳庵は違いました。片手に『ターヘル・アナトリア』を抱えて腑分けをする人に質問攻めをしたといいます。そして本通りの正確さにショックを受けた3人は「正しい知識を皆に知らさなくてはならない!」と、翻訳して出版をすることを誓ったのです。
苦悩する蘭学事始
しかし、オランダ語が全くわからず、わかっているのはスペルと、持っているのはオランダ語をオランダ語で書いてある辞書だけというありさま。わからない単語は「〇に+」を描いた薩摩藩の家紋のような「くつわ十文字」というマークをつけていこう決めたら、そのマークだらけになったという逸話がリアルに目に浮かびます。『蘭学事始』に「櫂や舵の無い船で大海に乗り出したよう」と書かれていることから、本当に暗号解読だったのでしょうね。
「鼻とは顔の中でフルヘッヘンドするものなり」という文の「フルヘッヘンド」という単語の意味がわからなくて、他の本にあった「庭を掃けば、塵芥集まりてフルヘッヘンドする」などから考えた結果「うずたかい」という意味だと推測した!という有名な逸話は、実際にはそういう記述が『解体新書』にないことからフィクションだそうです。どれだけ大変だったかを示すために書かれたんでしょうね。
1年ほどすると翻訳も順調に進むようになっていって、3年を過ぎる頃になると「サトウキビを噛むように」と記述されているように楽しくなっていったそうですよ。
- 巻の一
総論・形態・名称・要素・骨格・関節総論及び各論 - 巻の二
頭・口・脳・神経・眼・耳・鼻・舌 - 巻の三
胸・隔膜・肺・心臓・動脈・静脈・門脈・腹・腸・胃・腸間膜・乳糜管・膵臓 - 巻の四
脾臓・肝臓・胆嚢・腎臓・膀胱・生殖器・妊娠・筋肉 - 図は別冊
- 『ターヘル・アナトミア』の表紙はリアルすぎるので『ワルエルダ解剖書』から採用
『ターヘル・アナトミア』だけでなく『トンミュス解体書』『ブランカール解体書』『カスパル解体書』『コイテル解体書』『アンブル外科書解体篇』『ヘスリンキース解体書』『パルヘイン解体書』『バルシトス解体書』『ミスケル解体書』なども参考
現在も使われている「神経」「軟骨」「動脈」「処女膜」「十二指腸」などの医学用語が作られる