西郷さんが連れていた犬はどんな犬?
上野恩賜公園にある西郷隆盛像。恰幅の良い西郷さんの傍らにいる犬をご覧になったことがありますか?明治維新の主役だった西郷さんのことだから、「たぶん柴犬だったんじゃないの?」と考える方も多いはず。果たしてその犬は柴犬だったのでしょうか?詳しく見ていくことにしましょう。
西郷隆盛像に寄り添っている犬は、実は洋犬だった?
西郷の死から20年が経過した1898年、高村光雲によって西郷の銅像が造られました。とはいえ西郷の写真も肖像画も残っていないため、イタリア人画家キヨッソーネが描いた西郷隆盛像を参考に製作されたそうです。
軍服姿では西南戦争を想起させるため「×」。そこで犬を連れた着流し姿になったそう。除幕式では未亡人の糸子さんが、銅像を見て思わずつぶやいたというエピソードが有名ですよね。
「アラヨウ、宿んしはこげんなお人じゃなかったこてえ!」
「あら、うちの人はこんな感じじゃなかったわ!」という意味になるのですが、実際の西郷と似ても似つかない風貌だったという説が一般的です。NHK大河ドラマ「西郷どん」の第一話の冒頭で黒木華さんが演じておられました。
これには異説があって、「うちの人は、若い人と対面する時ですら身なりが正しかったのに、こんなだらしない着流しなんておかしい!」という意味が込められていたとも…
少し話が脱線しましたが、傍らに立っている犬は「お虎」という名前で、実は洋犬だったそう。どんな犬種なのかは明らかでありませんが、徳川将軍家から譲られた犬でした。像の製作途中で「やはり西郷さんに洋犬は似つかわしくない」という理由で、故郷の薩摩犬に差し替えられたのです。
ちなみにそのモデルとなった薩摩犬は、西郷が愛した「ツン」だと思われている方も多いのですが、薩摩出身の仁礼海軍中将の娘春子さんが飼育していた「サワ」という犬なんだそう。春子さんは後年、インタビューの中で「西郷さんの犬のモデルになったのは愛犬のサワだった。」と語ったらしいです。
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西郷さんはなぜ犬を飼うようになった?
江戸時代というと「生類憐みの令」などによって犬が大事にされていた時期も確かにあったのですが、個人で飼っているというケースは珍しく、たいていはそこら辺を犬がウロウロしているという地域猫ならぬ地域犬のような存在でした。
時として邪魔だという理由で追い払われたり、ひどい目に遭うこともたびたびあり、犬にとっては受難の時代でした。
「犬も歩けば棒に当たる」
誰もが知っていることわざですが、「犬が歩いている時にボ~っとしていて道端の棒にぶつかってしまった。」という意味に捉えている人も多いでしょう。本来は別の意味があり、「でしゃばったり、余計な行動をしていると災難が降りかかってくるぞ。」というもの。
当時の人々は、仕事や家事の邪魔になったり、ついてくる野良犬を追い払うために棒を使っていたのです。「棒に当たる」とは「棒で叩かれる」ということを意味します。今では考えられませんが、人々が生活に余裕がない時代のこと。人と犬との関係は良好なものではなかったようですね。
やがて明治になると畜犬規則が制定され、飼い主の住所氏名が記された木札を付けることが義務付けられました。しかし飼い主不明の犬は容赦なく殺されたり、追い払われたりしたのです。
さらに洋犬の輸入がそれに拍車を掛けました。行儀良く飼い主に付き従う利口な洋犬が珍重され、家の中で人間と生活を共にすることが一種のステータスとなったのでした。それに引き換え、日本古来の犬は雑食で吠え癖があるというレッテルを貼られ、未開・野蛮の象徴となってしまいます。
そんな中、東京に居を構えていた西郷さんは、そんなかわいそうな犬たちをたくさん引き取ることにしたそうです。身長180センチ、体重110キロと肥満気味の西郷さんは、医者から「犬を飼ってみてはどうか?毎日散歩すればダイエットになるよ。」と勧められたことも大きな理由の一つでした。
今でいう保護犬の里親さんということになりますね。屋敷の中で多い時には数十匹もの犬を飼っていたそうで、屋敷の中も犬たちが徘徊するため、めちゃくちゃになっていたとか。多頭飼育崩壊どころか、西郷さんはその様子を見ていつも笑っていたそうです。
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西郷さんが愛した薩摩犬とは?
Kei87c1 – 甲斐犬 龍馬 @kaiken_ryouma on Twitter(Wikipediaへの掲載許可を頂いております。), CC 表示-継承 4.0, リンクによる
そんな犬が大好きな西郷さんでしたが、東京を離れて故郷の鹿児島へ戻ると、やはり十数頭の犬を飼っていたようです。その犬種は「薩摩犬」。古来から人間とともに暮らしてきた狩猟犬でした。ドラマ「西郷どん」のオープニングにも猟銃を持った西郷さんが、薩摩犬と一緒に野原を駆け回るシーンが描かれていますね。
実は日本には古くから縄文犬という犬種が存在していていました。やがて弥生人たちが大陸から日本列島へ移住し、彼らと一緒に渡ってきたのが北方スピッツ系の犬たちです。シベリアンハスキーやサモエドといった犬たちって、何となく風貌が日本犬に似てますよね?
そして古来の縄文犬と交配を繰り返すことになり、現在の日本犬の完成形といえる柴犬や秋田犬、四国犬などが生まれることになりました。ちなみにキツネ顔の柴犬さんは、縄文犬の血統を色濃く受け継いでいるといえますね。
西郷さんが愛した薩摩犬もそうした犬たちの一種だと考えられるでしょう。その見た目は尖った耳、差し尾、黒胡麻の毛色といった日本犬独特の風貌を表していて、しいて例えるなら甲斐犬に非常によく似ていました。(ちなみに画像は甲斐犬のもの)
鹿児島の野山を駆け回ってウサギなどの猟に貢献した犬種ですが、西郷さんもまた薩摩犬たちとともに、毎日のようにウサギ猟に出かけていたそう。
当時は薩摩犬の純血種がたくさんいたらしいのですが、洋犬の流入などによって交配が進み、現在ではもはや復活は難しいとされていますね。
1990年代に薩摩犬を復活させようという機運が高まり、鹿児島県内の獣医師や愛犬家らが保存会を結成しました。純潔を保っている甑島の野犬を交配させるなどして、2000年頃には100頭程度に増えたそうです。しかし繁殖活動は長く続かず、結局は10年ほどで再び姿を消してしまったとのこと。
西郷さんの愛犬家エピソードをご紹介
当時から愛犬家として有名だった西郷さん。もちろん心温まる愛犬エピソードにも事欠きません。そんな逸話をいくつかご紹介していきましょう。
自分の分はいつも後回し。犬に優しい西郷どん
誰よりも犬を大切に扱った西郷さんですが、それは食べることにも同じことが言えました。自分が食べることはさておき、まずは犬たちに食べさせていたそうです。司馬遼太郎さんの小説「翔ぶが如く」にも、自分は食べずに卵かけご飯を犬に与えたなんてシーンも出てきますしね。
ある時、美味しいと評判の鰻(うなぎ)屋に犬たちを連れてやって来た西郷さん。鰻丼を注文するたびに一杯ずつ犬たちに食べさせていました。人が食べずに犬に食べさせている光景を見た店主は呆れます。
「自分が食べずに犬に食わせているなんて、なんとも変わったお人だ。」
あまりに次々と犬たちに与えてしまったため、ついに自分の食べる分が売り切れになってしまったそうです。ションボリしたまま店を後にした西郷さんでしたが、店主が食器を片付けようとしたところ、丼の下に大金がくっつけて置いてあったとのこと。びっくりして人に聞いてみると、明治維新の立役者西郷さんだったことに気付き、恐縮しきりだったとか。
また鰻屋の話でこんなことも。桜島へ3、4人連れで行く途中に、鰻屋さんに立ち寄った時のこと。連れの人間にも犬にも鰻丼を食べさせましたが、勘定する時に細かいお金がないことに気付きます。
「すまんが、細かいのがないのでしばらく貸しておいてくれないか?」
しかし店主は「初めて会った人にお金は貸せぬ。」と言って断りました。すると西郷さんは「しょうがないなあ。」とつぶやきながら百円札をポンと出したそう。当時の百円は今の価値で数十万円もの価値があるもの。店主はびっくり仰天したそうです。
この話は西郷家の奉公人だった中間長四郎さんの回想だそうで、すべて実話とのこと。いずれにしても、西郷さんの大らかな性格を物語るエピソードではないでしょうか。
日本一の愛犬家
西郷さんが京都にいた頃、京都の祇園に通っていたことがあったそうです。祇園は当時から歓楽街として知られ、木戸孝允や大山巌、伊藤博文などの明治の元勲たちも足繁く通っていました。ところが西郷さんは夜ではなく、必ず昼間に犬とやって来ては鰻を食べて帰ったそうですね。
贈り物や金品を受け取るのが苦手だった西郷さんですが、「犬の絵」だけは快く受け取っていたらしく、それを聞き付けた外国人がこぞって犬の絵を贈ったそうです。
また、噂で西郷さんがお妾さんを2人も抱えているという噂が立ち、部下が確認しに行ったところ、なんと女性ではなくメスの狩猟犬2頭を見せられたのだとか。
西郷さんは忙しい毎日の中にあっても、決して犬との関わり合いをなくすことなくパートナーシップを大事にしていたのですね。まさしく「日本一の愛犬家」と呼ぶにふさわしいのではないでしょうか。