5分でわかる!戦後最大の汚職事件「リクルート事件」をわかりやすく解説
「リクルート」といえば何を想像されるでしょうか?例えば就職活動のことをリクルート活動とも言いますし、就活用のスーツのことをリクルートスーツと呼んだりもしますよね。またCMなどでもおなじみの企業名だったりもします。実は今から30年以上昔、戦後最大の汚職事件ともいわれた「リクルート事件」が起こっています。当時のことを知らない若い方のために、今回はわかりやすく本題を「ドラマ仕立て」で解説していきたいと思います。
- リクルート事件に絡んだ登場人物たち
- 【江副浩正(えぞえひろまさ)】リクルート社会長
- 【藤波孝生(ふじなみたかお】元内閣官房長官
- 【山本博(やまもとひろし)】朝日新聞川崎支局デスク
- 【竹下登(たけしたのぼる)】内閣総理大臣
- 【青木伊平(あおきいへい)】竹下登の政治秘書
- 【佐渡賢一(さどけんいち)】東京地検特捜部検事
- コスモス株をめぐる疑惑
- 朝日新聞のスクープ記事
- 追い詰められる江副
- 政・官・財界に広まっていた汚職の波
- 検察の捜査はじまる
- 江副とNTT上層部との癒着
- 藤波孝生元官房長官の起訴
- 竹下内閣の総辞職
- 「リクルート事件」のその後
- 自民党の衰退
- 政治改革に伴う派閥政治の解消
- 「第二のリクルート事件」を防ぐために
この記事の目次
リクルート事件に絡んだ登場人物たち
まずストーリーをわかりやすくするために、当時、どのような人物たちがリクルート事件に絡んでいたのか?まずは登場人物たちの紹介です。
【江副浩正(えぞえひろまさ)】リクルート社会長
この物語の中心的人物です。東大出身で在学中にリクルートを創業し、大企業に成長させました。広告業や情報誌出版業で成功を収めた彼は、バブル景気の潮流に乗って不動産業へも事業を拡大していきました。
【藤波孝生(ふじなみたかお】元内閣官房長官
昭和38年に初当選後、自民党内で着実に地位を確立していき、中曽根康弘の第一の側近として内閣官房長官を務めました。「中曽根派のプリンス」ともいわれ、将来を嘱望されていました。
内閣官房長官就任期間は、昭和58年12月~昭和60年12月まで。
【山本博(やまもとひろし)】朝日新聞川崎支局デスク
昭和45年に朝日新聞社に入社。東京社会部時代に数々の汚職事件や談合事件をスクープし、2度も新聞協会賞を受賞した敏腕記者です。
【竹下登(たけしたのぼる)】内閣総理大臣
中曽根康弘の後継として内閣総理大臣に就任。ふるさと創生事業をはじめ、消費税を初めて導入した首相としてその名が知られています。
【青木伊平(あおきいへい)】竹下登の政治秘書
首相となった竹下登の秘書を30年以上にわたって務め、政治資金のすべてを管理していたため「竹下の金庫番」ともいわれました。
【佐渡賢一(さどけんいち)】東京地検特捜部検事
リクルート事件での捜査を担当。のちに札幌高等検察庁、福岡高等検察庁などの検事長を務める。
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