- 非核三原則とはどのようなものなのか
- 非核三原則までの流れの概略
- 日本は日本で非核化が主張されるようになったきっかけ
- 核兵器の恐怖が拡大した
- 東西冷戦によって核兵器の開発競争に
- キューバ危機による核戦争の恐怖が世界に知れわたる
- 核兵器の縮小に向けた動きと米ソの疲弊
- 日本における非核化への動き
- 東西冷戦とサンフランシスコ平和条約による再独立
- ビキニ環礁における第五福竜丸の被爆による非核化運動の高まり
- 日米安全保障条約の改定による戦争への恐怖が現実に
- 中国の核開発による核戦争の恐怖の高まり
- 国会での非核三原則の宣言
- その後の世界の核兵器の状況
- 中国、インド、パキスタンの核実験と核兵器の保持が既成事実に
- 北朝鮮とイランの核実験
- 米ロの核軍縮条約の破棄
- テロの世界的拡散に伴う核被害拡散の可能性の高まり
- 核戦争の恐怖はどういうものか
- 米ロの核兵器だけで地球を破壊できる
- 核兵器を管理する大国指導者の不安定さ
- 世界の右傾化により戦争の可能性の高まり
- 非核三原則の堅持と核兵器廃絶は実現させなければならない
- 非核三原則だけでなく、核兵器は全廃させるべき
この記事の目次
非核三原則とはどのようなものなのか
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1968年の国会で、当時の総理大臣であった佐藤栄作が野党の質問に対して「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」と答弁したことから、これを「非核三原則」と言っています。これは、その後の日本政府の基本政策になっているのです。
世界でも唯一の原子爆弾被爆国として、日本人の矜持を示したものと言え、佐藤栄作は後にノーベル平和賞を受けています。
この日本の基本政策は今揺らぎかけており、今後も堅持すべき非核三原則についてその経過からなぜ堅持すべきなのかを見ていきましょう。
非核三原則までの流れの概略
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日本は、第二次世界大戦で広島と長崎に原子爆弾が投下され、さらに1954年にはビキニ環礁での原爆実験で第五福竜丸が被爆するという出来事もありました。そのために、核兵器に対する抵抗感はほかの国に比べて非常に高いと言えたのです。
我が国では、1960年に当時の首相であった岸信介が、日米安全保障条約の改定において条約を相互防衛体制へ変換させるようにしました。それによって、我が国が戦争に巻き込まれる可能性が出てくることから、反対する人々の安保闘争が盛り上がり、同時に核戦争への恐怖がさらに高まったのです。
一方、世界的にも1962年にキューバ危機が起こり、今すぐにも核戦争が起こりうるという恐怖が世界的に広がりました。そのため、国連を中心に非核化機運が高まり、部分的核実験禁止条約(1963年)や各不拡散条約(1968年)などが成立していました。
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日本は日本で非核化が主張されるようになったきっかけ
さらに隣国である中国も核実験をするようになり、日米安全保障条約によりアメリカ軍が米軍基地に核兵器を持ち込み配備するのではないかのではないかとの懸念が強まりました。
国会でも、米軍基地への核兵器持ち込みに対して反対する論議が高まったのです。それを受け、1968年に当時のであった佐藤栄作は、衆議院で「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という非核三原則を主張するに至りました。
これ以降、非核三原則は日本の基本政策として堅持されるようになったのです。
なお、佐藤栄作は、岸信介の弟でしたが、極右派でA級戦犯でもあった岸に対して、佐藤は鳩派といわれた吉田茂の弟子に当たります。さらに、岸信介の孫に当たるのが安倍晋三現首相で、戦争も辞さないという右翼体質の岸信介を一番尊敬しているのです。
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核兵器の恐怖が拡大した
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もともと原子爆弾はアイシュタインの相対性理論から注目されるようになり、ドイツで開発が進められていました。しかし、実現する前にヒトラーのドイツは敗北し、その核兵器技術は、オッペンハイマーなどの人材とともにアメリカとソビエト連邦に引き継がれたのです。そして、その実戦使用がまだ敗戦を認めていなかった日本(広島と長崎)に対しておこなわれました。
その後、その悲惨さは第二次世界大戦後に世界に伝えられたのです。
東西冷戦によって核兵器の開発競争に
第二次世界大戦が終わって、世界は国際連合を作り、平和実現に向けて再出発したはずでした。しかし、ソ連と米国をはじめとした西側諸国が共産主義の拡散をめぐって対立し、東西冷戦が始まったのです。核開発技術者を確保したアメリカとソ連は、核兵器の開発をめぐって競争をするようになります。両国は核開発に邁進し、イギリス、フランスも追従して、大国の原子爆弾の保有数はとんでもなく大きくなっていきました。
しかし、当初はそれらを大国が管理して実際には使われないだろうと言われていたのです。
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