第二次世界大戦はどう推移していったか~戦争の行方を決めた激戦7選~
- #1 戦争の行方を決めた激戦その1.バトルオブブリテン
- イギリス諸都市へ襲い掛かるドイツ空軍
- 奮闘するイギリス空軍
- #2 戦争の行方を決めた激戦その2.バルバロッサ作戦
- 緒戦でのドイツ軍の快進撃
- ソ連軍の反撃と冬将軍
- #3 戦争の行方を決めた激戦その3.ミッドウェー海戦
- 暗号を解読されていた日本軍
- 日本空母炎上
- #4 戦争の行方を決めた激戦その4.スターリングラード攻防戦
- ドイツ側の誤算
- ドイツ第6軍の降伏
- #5 戦争の行方を決めた激戦その5.Dデイとバグラチオン作戦
- Dデイ~ノルマンディー上陸作戦~
- 西のDデイ~バグラチオン作戦~
- #6 戦争の行方を決めた激戦その6.マリアナ諸島の攻防
- マリアナ沖海戦
- サイパン島守備隊の玉砕
- #7 戦争の行方を決めた激戦その7.沖縄攻防戦
- 菊水作戦と沖縄守備隊の善戦
- 沖縄守備隊の全滅
- 戦争の悲劇を忘れないために
この記事の目次
#1 戦争の行方を決めた激戦その1.バトルオブブリテン
第二次世界大戦の初期、ポーランド、フランスといった欧米諸国を次々に侵略した後、ドイツの次なる目標となったのはイギリスでした。既に戦争状態にはありましたが、まずは完全にイギリスの息の根を止めなければ後顧の憂いなくその後の作戦行動ができないと判断したのです。イギリス本土へ上陸する前に、まずは航空作戦で制空権を確保しインフラを破壊すること。それが主目的でした。
イギリス諸都市へ襲い掛かるドイツ空軍
そもそもドイツ空軍の目的は軍事的インフラ(空軍基地やレーダーサイト)を破壊して制空権を把握する目的があったため都市部への空爆は控えられていました。しかしイギリス空軍がドイツの首都ベルリンを爆撃するという行動に出たためヒトラーは激怒。ロンドンを皮切りに都市部への大規模空襲を開始することに。
それに対してイギリス空軍は必死の抵抗を試みます。新型戦闘機のスピットファイアを投入し、数に勝るドイツ空軍に対して互角以上の戦いを繰り広げました。
奮闘するイギリス空軍
実はドイツ軍にとって致命的だった点がありました。各航空機の航続距離が短く、護衛戦闘機を出してもすぐに引き返さなければならない状況が続いたため、肝心の爆撃機の損害が増大したのです。また、イギリス空軍のパイロットはたとえ撃墜されても生還さえすれば再び戦力になり得たこと。しかしドイツ空軍のパイロットはそうはいきません。撃墜されたら捕虜になるしかないのでした。そうやって熟練パイロットを失う結果になり、戦力を消耗していったのですね。
しかしイギリス空軍にとっても苦しい時期でした。他に対抗手段のなく、撃墜される数に対して生産機数が追い付かないのです。おそらくこのまま空爆が続けば航空戦力は底を着いていたことでしょう。しかしそれでも首相チャーチルは国民や兵士を励まし続けたのでした。
運命はイギリスに味方しました。結局のところ、損害の大きさに対して見合うだけの戦果を挙げられなかったドイツはイギリス侵攻をあきらめることになったのです。
#2 戦争の行方を決めた激戦その2.バルバロッサ作戦
イギリス侵攻をいったんは諦めたヒトラーでしたが、次なる目標は既に見定めていました。1941年の半ばまでにギリシャやユーゴスラビアといった国々を次々に占領し、いよいよ大国でもあり最大の敵ともいえるソ連と対峙しようとしていたのです。その理由は、政治的にナチズムと共産主義とは相いれぬ関係だったこということ、そしてヒトラーはじめナチス自体がスラブ人(ロシア人)を強烈に蔑視していたために、その戦いは血で血を洗う悲惨なものになっていきました。
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緒戦でのドイツ軍の快進撃
1941年6月、独ソ不可侵条約を破棄し、ドイツ軍単体で300万以上、同盟国軍を合わせれば400万にもなる空前の大軍が一斉にソ連領内へ進撃しました。「バルバロッサ作戦」の開幕です。戦線の長さは1,600キロ以上。北、中部、南へと伸びたドイツ軍の矢は瞬く間にソ連領内を席巻し、所在のソ連軍部隊は次々に包囲壊滅していきました。
予兆があったにも関わらず、まったく警戒していなかったソ連軍は完全に奇襲を受け、敗退に次ぐ敗退を繰り返すことに。当時のソ連軍では有能な指揮官が次々と粛清されていた直後だっただけに指揮命令系統もバラバラ。いたずらに死守命令を繰り返すばかりで有効な反撃すらできなかったといいます。
「ソ連は腐った建物のようなものだ。ドアを蹴飛ばすだけで崩れ落ちるだろう」
出典 児島襄 著「ヒトラーの戦い」より
ソ連軍の反撃と冬将軍
10月までにドイツ軍はミンスク、スモレンスク、キエフといった大都市を攻略し、レニングラード(現サンクトペテルブルク)を包囲、そして首都モスクワの目前まで迫っていました。ドイツ軍の大勝利目前かと思われたその時、天候がソ連に味方したのです。
「冬将軍」と呼ばれるロシア特有の大寒波が戦場を襲ったのでした。そもそも短期で攻略できると踏んでいたドイツ軍には防寒装備すら無く、戦車を動かすためのエンジンオイルすら凍り付く有様で、進撃は完全に停止してしまったのでした。ソ連軍はこの好機を見逃さずに反撃に出ます。河を決壊させて洪水にして敵の足を停め、冬に慣れた彼らは失った土地を次々に取り戻しました。
ドイツ軍は結局モスクワを攻略できず、受けたダメージを回復することができませんでした。この作戦の失敗こそがナチスドイツ崩壊への端緒となったのです。
#3 戦争の行方を決めた激戦その3.ミッドウェー海戦
その頃、第二次世界大戦における日米の戦い。太平洋戦争も既に勃発していました。既に中国とも戦争を継続していた日本は真珠湾攻撃によってアメリカ艦隊を壊滅させ、実質的に制海権を握った日本軍は破竹の進撃を続けます。そして日本とハワイとの中間点にあたるミッドウェー島の攻略が必要だと感じ、それに取り掛かろうとしていました。