なぜソ連はフィンランドを敵対視したのか?
戦争にはそもそも「大義名分」というものが絶対必要です。どんな理不尽なことでも「正当な要求」を主張することによって免罪符になり得るということ。その結果、国際社会がそれを正当と認めるかどうかの話ですね。しかしなぜソ連はフィンランドを目の敵にしたのでしょうか。その理由を解説していきましょう。
ロシアとスウェーデンのはざまで
Jniemenmaa – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる
フィンランドという国はヨーロッパ圏とロシア圏との狭間にあって緩衝地帯ともいうべき立地でした。元々は隣国のスウェーデンの一部だったという経緯もあり、ロシアとスウェーデンの間で幾度となくフィンランドをめぐる戦争が繰り返されてきたのです。
ところが宗主国のスウェーデンは戦争に弱く、ことごとく負けてはロシアにフィンランドを占領され、領土の一部を削り取られてはまた返還されることの繰り返しでした。
1808年、フィンランド戦争が起こるに及び、ついにロシアはフィンランドの全域を制圧。そのままロシアに組み込まれてしまったのです。
ところが、新しくフィンランド大公となったロシア皇帝アレクサンドル1世は、非常に温厚な人物として知られ、フィンランド人たちに自治を認めてフィンランド語を公用語にするなど、民族的にも文化的にも自由な気風が国中に満ち溢れるようになりました。
フィンランド人たちの民族的アイデンティティの素地はこの時代に生まれたといえるでしょう。
しかしそんな時代が100年近く続いた後、自由を謳歌していたフィンランドにとって大きな出来事が起こります。ロシア最後の皇帝となるニコライ2世は、不安定化するロシア帝国内外の動きを警戒して民族統制を強め、フィンランドに対して自治権の廃止を決定したのです。
フィンランド人たちによる政治はもとよりフィンランド語すら廃止にされ、代わってロシア語が強要されました。まさに植民地といってもいい状況に追い込まれたのです。
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ついに勝ち取った独立
望まぬものを強制された時、民衆が反発するのは当然のことです。すでに民族意識が芽生えたフィンランドの民衆たちは一斉に不満と反発を強め、ロシア人の総督も殺されてしまうほどでした。
日露戦争の敗北や第一次ロシア革命によって弱体化しつつあったロシアに昔日の勢いはありません。第一次世界大戦最中の1917年、ついにロシア帝政が倒されるに至ると、その隙を突いてフィンランドは独立を宣言したのです。
ところが事態はすんなりとはいきません。当時、共産主義は政治の最先端でしたから、都市部の労働者階級を中心としてボルシェビキ(共産主義)へ加担する者が急増して政府勢力と対峙。ついには内戦にまで発展したのです。
赤軍(共産主義者の軍)の戦力は圧倒的で、政府軍は首都を奪われるなど、かなり追い込まれる状況になりました。しかしここで一人の卓越した指揮官が登場します。現在でもフィンランドで英雄と語り継がれているマンネルハイムでした。
マンネルハイムは訓練が行き届いた義勇兵を多数募り、優れた戦術をもって徐々に失地を回復していきます。やがて1918年5月、政府軍の勝利で内戦に幕が下ろされることになりました。
その後、ドイツの介入によって王党派と共和派に政治勢力が分断するも、第一次世界大戦でドイツが敗れたことによって共和派が勝利。民主主義国家となったフィンランドは国際社会からも認められる立場となったのです。
また1920年にはソビエト連邦との条約によって国境線が確定することになりました。
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フィンランドを毒牙にかけようとするソ連
「ロシア革命の父」ことレーニンが死去したあと、ソ連の政権を握ったスターリンは野心と猜疑心が強い男でした。実権を握るや次々に政敵を蹴落とし、反対勢力を大量粛清し、諜報機関を使って社会を監視するなど権力の独占を図りました。
フィンランドとソ連は1932年に不可侵条約を結んではいましたが、やはり国境が接している以上、チャンスさえあればフィンランド領土を掠め取ろうと虎視眈々と狙っていたことでしょう。
そしてスターリンにとってチャンスが訪れたのは、ヒトラー率いるドイツによってでした。東方にドイツ民族の生存圏を拡大したいドイツと、東欧の共産化を狙っていたソ連の思惑が合致し、それは1939年に独ソ不可侵条約として形になったのです。
しかもその条約の中には以下の秘密協定も含まれていました。
・独ソ両国でポーランドを分割すること。
・バルト三国(エストニア、ラトヴィア、リトアニア)はソ連が併合すること。
・フィンランドをソ連の支配下に置くこと。
フィンランドはそんなことを知る由もありません。やがて9月にドイツ軍がポーランドへ侵攻。呼応するかのようにソ連軍もまた東から侵入を開始しました。そして瞬く間にポーランドは敗北し、独ソ両国によって分割統治されてしまったのです。
同時にバルト三国もまたソ連の恫喝に屈して、ソ連軍の駐留を認める条約を強制的に結ばされることになりました。
そして間髪を入れずに、フィンランドに対してもソ連の理不尽な要求が突き付けられたのです。ソ連軍の駐留にプラスして領土の割譲を迫るものでした。フィンランド側としては到底受け入れられるものではなく、ここに交渉は決裂してしまいました。
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