砂漠の中の古代都市:ペトラ遺跡の歴史
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中東の君主制国家・ヨルダンの観光地といえば、塩分の濃度が30パーセント近いという驚異の湖・死海を思い浮かべる人が多いはず。その死海とアカバ湾の間に伸びる険しい渓谷沿いに、ペトラ遺跡はあります。今見ると「なぜこんなところに……」と思うような、砂漠の中の厳しい自然環境の中に建っていますが、おそらく古い時代にはこの渓谷が、物資が行きかう交通網だったのでしょう。ペトラ遺跡とはどんな歴史をたどってきたのか、その歩みを振り返ります。
謎多き民族・エドム人とペトラ遺跡
この地には、紀元前7000年頃から、農耕や放牧などを生業とした人々が住んでいたと考えられています。
紀元前1200年頃には、周辺の高台などにエドムと呼ばれる民族が集落を作って暮らしていました。エドム人の詳細は不明ですが、ペトラ遺跡のある周辺の地域のことを「エドム」と呼ぶそうで、エドムに住んでいた人のことを「エドム人」と呼んだのかもしれません。
エドムはアラビアやエジプトと地中海を結ぶ陸路の中継点のひとつとして、古くから注目されていたようです。
ペトラとはギリシャ語で「崖」を意味する言葉。確かに周囲は険しい岩山に囲まれており、「崖」と形容するにふさわしい場所です。
ナバテア人とローマ帝国の支配
紀元前1世紀頃、アラビアの遊牧民族であったナバテア人がこの地に移り住み、定住します。
すでにこの時期には、北側にシルクロード、南側に紅海からインド方面への航路が確立されており、その中間地点に位置するペトラは交易にもってこいの場所だったのです。
今は水のない枯れた遺跡ですが、当時は灌漑用水が通っており、水に困ることはなかったと考えられています。
交易で成功をおさめたナバテア人たちはこの地に王国を築き、交易のための陸路を開拓する一環で領地を広げていきました。ナバテア王国の繁栄とともに、ペトラも栄えていきます。かなり羽振りがよかったようです。
このころ、ペトラの地にもローマ風の建造物がいくつか造られたと考えられています。
紀元前63年頃、ローマのポンペイウス将軍が進軍してきて、ペトラを制圧。ナバテアはローマに属します。それでも以後200年ほどの間は、ナバテアに自治権が与えられていましたが、ローマ皇帝トラヤヌスのときに完全に制圧され、ペトラはローマの属州となるのです。
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2度の地震で「忘れられた都市」に
記録によれば、ペトラはたびたび、大きな地震に見舞われています。
363年と749年、多くの建物が崩壊する巨大地震が発生し、かなりの被害が出たようです。
また、この間にイスラム帝国が台頭し、ペトラ周辺はもちろんのこと、アラビア半島、エジプト、地中海沿いの北アフリカ、イベリア半島、ペルシャなどがイスラム帝国の統治下にはいります。その影響で、ペトラはシルクロードなどにつながる交通網から外れてしまうのです。
地震の影響と、陸路としての意味をなさなくなってしまったペトラ。ナバテア人たちはこの地を捨て、去ってしまいます。
ナバテア人たちが去ってからおよそ1000年の間、ペトラは誰の目に触れるでもなく、忘れられた都市となってしまったのです。
世界遺産登録・人気の観光スポットへ
ペトラに再びスポットライトが当たるのは1812年。スイスの旅行家であり学者でもあったヨハン・ルートヴィヒ・ブルクハルトが、中東一帯を旅行中にこの地に足を踏み入れました。
廃墟となって1000年近く、ペトラは世界的にも珍しい遺跡として、世界中に紹介されることとなったのです。
本格的な発掘調査が始まったのは20世紀に入ってからですが、それからおよそ1世紀が経過した現在でも、まだペトラ遺跡のすべてが解明されたわけではない、と言われています。
長い間、人が介入することなく放置されていたため、他に類を見ない珍しい景観を残すことができたペトラ遺跡。貴重な文化遺産であることが認められ、1985年にユネスコ世界文化遺産に認定されます。
さらに「新世界七不思議財団」によって2007年に選出された「新・世界七不思議」にもラインアップ。コロッセオやマチュ・ピチュとともに「驚くべきもの」として注目を集めています。
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ペトラ遺跡を構成する主要スポット
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1000年物間、時間が止まっていたペトラ遺跡。しかし20世紀に入ってから、その不思議な景観とミステリアスな雰囲気から人気が高まり、多くの観光客が訪れるヨルダン有数のスポットとなっていきました。一口に「ペトラ遺跡」といってもかなり広く、見どころは点在。次にペトラ遺跡の主要なスポットを3つ挙げ、見どころなどをご紹介いたします。
気分はインディ・ジョーンズ「エル・ハズネ(宝物殿)」
精巧にきめ細かい装飾が施された巨大建造物。ペトラ遺跡屈指の見どころポイントです。
建造物と言われていますが、造りとしては、岩山の岩肌を彫って造られた建物。荒々しい砂岩の岩山に、突如としてギリシャ神殿のような巨大な建造物が現れます。
この建造物が何の目的で建てられたのか、はっきりとはわかっていないのだそうです。ナバテアの王の墳墓であるというのが有力説。建物の正面は高さ43m、幅30mにもなります。
エル・ハズネとはアラビア語で「宝物殿」という意味を持つ言葉だそうですが、宝物を入れるために建てたものかどうかはわかっていません。ただ、王の墓ならば、宝飾品などを一緒に埋葬した可能性は高いと思われます。
ただ、この建物の上の階層の部屋が荒らされていたそうで「中から宝物を盗み出した者がいる」という話が地元に伝わっているのだそうです。宝物殿という名前はその伝承から。インディ・ジョーンズの世界そのままのミステリアスな空間が広がっています。