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多作・多彩な鬼才の画家「パブロ・ピカソ」がスゴイ3つの理由

「泣く女」「ゲルニカ」「アヴィニョンの女たち」で有名な、キュビズムの創始者にして20世紀もっとも偉大な芸術家の1人、パブロ・ピカソ。えっアレって子供のいたずら書きじゃないの?教科書で見てみんな思った、ピカソのキュビズムの絵。とんでもない!ピカソは近代絵画の歴史と固定概念を変え、名声をほしいままにしましたが、それには彼自身に備わった3つの理由がありました。パブロ・ピカソがスゴイと言われる3つの理由をご紹介しましょう。

ピカソがスゴイ理由その1「新しい芸術を作った天才」

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真の天才とは、世界の景色を変えてしまう様式や技術を開発しちゃう人のことです。たまに歴史にいます。パブロ・ピカソはその希少価値の高い「天才」。当初は反発や酷評を読んだキュビズムという手法は、「視覚」と「認識」の根本的な考えをひっくり返して表現する、超絶技巧でした。世界の景色を一転させた「キュビズム」って一体?

ピカソの作った「キュビズム」って何?

パブロ・ピカソの代名詞とも言える、「キュビズム」『泣く女』『ゲルニカ』など美術の授業でみんなで首をかしげた、アレです。一体キュビズムって何なのでしょう?ちなみにキュビズムは英語読みで、フランス語読みだと「キュビ『ス』ム」と濁らない発音となります。ここでは英語読みの「キュビズム」で統一しますね。

それまでの絵画、西洋絵画を支えてきた方法は、ルネサンス期に確率・発展した、一視点による遠近法です。少なくとも「ありのまま」を描く写実主義のころまでは、私たちがふつうに見ている世界の風景を、「対象の姿」に合わせて描くことしか、基本的に考えられませんでした。キュビズムはこの「視点」に改革をもたらします。「複数の視点で描く絵」、それがキュビズムです。

と言われてもよくわからないですよね。キュビズムは理論的には非常に難解。シンプルに言うと、見るものの対象をいちいち分析・解体して、平面的に描く行為と手法です。非常に細かい計算や分析のもとで、絵が組み上げられる超絶技巧。ピカソをはじめキュビズムの画家は、目に見えるこの世界を、まったく別のとらえかたをして表現したのでした。認識のコペルニクス的転回、まさか世界の見方を変えるなんて、やっぱりピカソは天才ですね。

なぜ「ふつうの絵」を描かなかったのか

ここで素朴な疑問がわいてきます。なぜピカソは「ふつうの絵」を描かなかったのでしょうか。そこには「新しいスタイル」を追い求めたいという芸術家・画家の根本的な熱意があります。技術革新や刷新を繰り返して発展してきた西洋絵画。Rintoでも多くの芸術・絵画記事で紹介していますが、ルネサンス以降の西洋絵画は新しい技術や世界のとらえ方を貪欲に探求してきたのです。

基本ができてこそできる、ウルトラCの画力。新しい芸術を作ることは西洋絵画の野望であり、何よりもピカソ自身の内面の欲求だったのでしょう。しかし彼も「青の時代」「ばらの時代」など初期の作品のように、素人が見てもキレイだなと思える「ふつうの絵」も、非常に巧みに美しく描いているのです。またキュビズム絶頂期の後も「わかりやすく描いてほしい」と妻に言われてハッとしたのか、その後「新古典主義の時代」と言われる一連の作品群を描き上げました。

さらには最新技術の1つでもあった「シュルレアリスム」にも手を出します。そうして場数を踏んだピカソは、西洋絵画が積み上げてきた素晴らしい技術を網羅したといって過言ではないでしょう。スペイン内戦中の1937年に傑作『ゲルニカ』を描き上げました。『泣く女』も同時期に製作。『泣く女』のモチーフは『ゲルニカ』の画中にも描かれたのでした。「ふつうの絵」あっての、あのわけわからない絵。彼の絵は本当に、すごいんですよ。

ピカソがスゴイ理由その2「無限のスタイルと技術」

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ピカソが一生のうちに描いた作品数を知っていますか?油絵と素描が1万3500点、版画10万点、挿絵3万4000点、陶器と彫刻が300点――ざっくり見積もっても、彼の製作作品は認知されているものだけで14万7800点!ひゃあ。ただ描いているだけではもちろん「ネタ切れ」になるはず。ピカソはさまざまな技法や技術を使いこなし、作風、画風を変化させました。ピカソのコレクションの多彩さの根っこを探っていきましょう。

青の時代、ばらの時代……あざやかなる初期作品

ピカソがキュビズム以外でよく知られているのが「青の時代」です。故郷のスペインから芸術の都・パリへやってきた、若き日のパブロ・ピカソ。しかしその直後、ともに異国の都までやってきた親友が自殺します。その精神的ショックをこらえるべく、陰鬱で悲しげな絵を、絵具の「青色」を駆使して描き上げました。これが「青の時代」。「青の時代」という言葉は現在では「孤独で不安定な青春時代」の代名詞としても使われます。

その後の「ばらの時代」は一転、明るく朗らかな色合い、バラ色で見る人の心を和ませるもの。芸術家に影響を及ぼすのは、やはりその人を支えるファンや芸術家の存在。彼の魂を照らし出したのは、恋人のフェルナンド・オリヴィエ。恋のエネルギーはすさまじく、明るい色調の絵となってから多くの人の心をつかんで、ピカソの作品は徐々に売れはじめました。その後、古代アフリカ彫刻にインスパイアを受けて創作を行う、彼の転機となった「アフリカ彫刻の時代」に移り『アヴィニョンの女たち』が描かれました。

ピカソは幼少期から圧巻の画力で周囲をあぜんとさせます。父親もまた画家でしたが、わが子のデッサンを見て度肝を抜かれ、絵筆を折ったというのです。この話は創作と現在では言われていますが、それほど彼の力量は抜きん出ていたのでした。彼はスペインの都バルセロナの美術学校で体系的な絵の技術を収めています。貪欲に新しい表現を求める、猛勉強家だったのです。

同じキュビズムでも違う?分析的、総合的……

キュビズムと呼ばれる現代美術の大きな流れ。なんとなく「キュビズム」と一言だけで片付けてしまいがち。しかし正確には、初期キュビズム・分析的キュビズム・総合的キュビズム、と大きく分類されます。数学的・哲学的なアプローチも含まれるこの現代美術、簡単に紹介しましょう。

初期キュビズムは、キュビズム絵画の模索期。ポール・セザンヌの絵画に影響を受けたこの時期は「セザンヌ的キュビズム」とも呼ばれます。また「アヴィニョンの女たち」にも大きくインスパイアを与えた、古代アフリカ彫刻の造形からも多く学んだのがこの時期でした。キュビスムのアプローチは多くの芸術家に影響を与えます。新奇なビジュアルに好奇心と興味をかきたてられた画家たちのもと、キュビズムは発展していったのです。

前衛的で理解されづらいこの技術はその後、人物や静物を対象として描く「分析的キュビズム」に移行。この「分析的キュビズム」の頃は、分析と観察を重ねた結果何を描いてあるんだかサッパリわからない絵も多く生まれました。さらに「総合的キュビズム」では印刷物の写真や壁紙を切り取ってコラージュするという、「描く」という方法だけにとらわれないやり方まで発展させたのです。

ピカソがスゴイ理由その3「悪評にもめげない鋼メンタル」

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フアン・グリス – downloaded from [1], パブリック・ドメイン, リンクによる

ピカソはまったく新しい芸術の形を作り出しました。ロマン主義も印象派もそれまでの画壇からはさんざんに言われたわけですが、何も知らない人が見てもキレイだなと思えるそれらとは違い、キュビズムは素人目に見てわけがわかりません!というわけで彼には悪評や無理解のオンパレード。しかしめげない!天才には鋼メンタルがセット装備されているものでしょうか。悪評にめげないピカソの姿をご紹介しましょう。

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