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理不尽なソ連の侵攻に果敢に抵抗したフィンランド「冬戦争」をわかりやすく解説

再び頑強に抵抗するフィンランド

ソ連軍の攻勢が差し迫っていた6月、フィンランドは必死になってドイツからの軍事援助を要請します。そしてようやく「最後までドイツ軍と共に戦う」ことを条件に援軍や武器を得ることに成功しました。

6月21日、圧倒的な戦力を持つソ連軍はフィンランドに対して攻勢を開始しました。しかしソ連軍は、かつて冬戦争で対峙した時とはまったくの別物になっていました。なにせ3年にも及ぶ血みどろの独ソ戦を生き抜き、戦い慣れした彼らは武器も士気も戦術も、何もかも比べ物にならないほど卓越していたのです。

今回の季節は夏。得意な冬戦術に頼ることはできません。それでもフィンランド軍兵士たちは各地で頑強な抵抗を続け、ソ連軍に大きな出血を強いていきます。

そして7~8月にかけてのイロマンツィの戦いでは、フィンランド軍がまたもや大勝利を収める結果となりました。ソ連軍は圧倒的な兵力と火力をもってしても、フィンランド軍を撃破することは理に適っていないことと理解し、進撃を停止しました。ソ連軍総司令部はフィンランドへの無条件降伏勧告をあきらめたともいわれていますね。

それよりもソ連軍は依然としてドイツとの戦いを継続していたため、そちらへ戦力を振りむけざるを得ない事情もあり、フィンランドへの攻勢をあきらめたと言うべきでしょうか。

フィンランドは冬戦争以上の損害を被り、せっかく奪回した失地も手放さざるを得なくなりました。また多額の賠償金を支払う結果ともなり、ようやく9月に停戦が実現したのです。

いっぽう、フィンランドに駐留していたドイツ軍を追い出すことも停戦条件に含まれていたのですが、事情を察したドイツ軍はなるべくフィンランド軍と戦闘にならないよう撤退に移りました。いくつかのトラブルはあったものの、昨日の盟友だっただけにお互い遠慮したのかも知れません。

戦後のフィンランド

image by PIXTA / 60229375

リュティから政権を引き継ぎ、新たな大統領となったマンネルハイムは難しい時期に立派に職責を果たしたといえるでしょう。連合国軍管理委員会(実体はソ連軍)の監視と干渉はあるものの、ソ連軍の駐留を認めず、国家の主権も維持し、民主主義や経済の自由さえも守り抜いたのです。フィンランドには「国を守るための誇り」が現在でも息づいているといえるでしょう。

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明石則実