ドイツヨーロッパの歴史

音楽の父とよばれた「バッハ」の生涯・作品を元予備校講師がわかりやすく解説

今から300年以上前のドイツで一人の偉大な音楽家が活躍しました。彼の名はヨハン=セバスティアン=バッハ。音楽室の肖像画に必ずと言ってよいほど登場する白いウィッグを付けた人物です。バッハはバロック時代を代表する音楽家で、後世に大きな影響を与えたことから「音楽の父」の異名を与えられました。今回は、バロック時代の音楽とバッハの生涯、バッハの良く知られた作品などについて元予備校講師がわかりやすく解説します。

バロック音楽について

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バロックとは、もともと美術史で用いられていた用語でした。そもそも、バロックとは「極端な」あるいは「誇張した」という意味で用いられる美術史の用語です。17世紀の西欧の絵画や建築などを指す言葉でしたが、音楽にも適用されるようになりました。バロック音楽の定義やバロック時代のヨーロッパの様子、代表的音楽家などについてまとめます。

バロック音楽とは何か

16世紀の末から17世紀半ばまでをバロック時代といいました。そもそも「バロック」は「いびつな真珠」という意味のポルトガル語です。それが、人間の情緒や感情を重視した音楽を指す言葉にも転用されました。

バロック時代の音楽は前期、中期、後期に分けることができます。前期バロックの音楽はその前の時代であるルネサンスの音楽の影響を色濃く残すものでした。ヨーロッパ音楽に広く用いられる通奏低音半音階の使用、不協和音の使用などは前期バロックのころから見られます。

中期になると、イタリア音楽が強い影響力を持ちました。後期バロックの音楽になると、日本でも広く知られている曲が現れます。代表曲はヴィヴァルディの「四季」ではないでしょうか。

ヘンデルや今回紹介するバッハも後期バロックの作曲家です。そして、バッハが死んだ1750年こそ、バロック音楽の終期であり次の古典主義音楽の始まりと位置づけられました。

バロック時代のヨーロッパ

バロック時代のヨーロッパは絶対王政の時代でした。フランスではルイ13世、ルイ14世、ルイ15世の治世ですね。特にルイ14世は太陽王の異名を持つ絶対君主で、ヴェルサイユ宮殿の建設をおこないます。

フランスで絶対王政が花開いていたころ、バッハが生まれるドイツは小国が分立した状態でした。

1618年から1648年まで行われた30年戦争でドイツの国土は荒廃します。1648年のウェストファリア条約で神聖ローマ帝国が事実上解体された結果、ドイツは300もの小国の寄せ集めのような状態となりました。

バッハが生まれたアイゼナハはザクセン=ヴァイマル公国の一部です。ドイツで最も有力なのはオーストリアに本拠を持つハプスブルク家でしたが、それ以外の国も外交や自治が認められています。各地に小さな宮廷があり、多くの音楽家たちはそれぞれの宮廷で楽団員や楽長となって生計を立てました

バロック時代の代表的音楽家だったヴィヴァルディとヘンデル

バッハとほぼ同世代の音楽家としてイタリアのヴィヴァルディとドイツのヘンデルがいます。

ヴィヴァルディはイタリアの都市国家の一つであるヴェネツィアに生まれました。ヴィヴァルディは幼いころから教会で聖職者として修業を積む一方、バイオリニストや音楽家として活動します。

ヴィヴァルディの代表曲はなんといっても「四季」でしょう。タイトルの通り、四つの季節を音楽にしたバイオリン協奏曲です。

ヘンデルはバッハの生地であるアイゼナハにほど近いハレという町に生まれました。ヘンデルはドイツ国内だけではなく、イギリス、イタリアなどでも活躍します。

ヘンデルの代表曲といえば、クリスマスに演奏される「メサイア」でしょう。特に「ハレルヤ」コーラスはテレビでもよく使われるので多くの日本人が知っていますね。

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