イギリスヨーロッパの歴史

シェイクスピアの四大悲劇「ハムレット」を解説!狂気にあふれた復讐の物語

「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ(to be, or not to be, that is the question.)」この名言で有名なシェイクスピアの戯曲『ハムレット』。イギリスを代表する劇作家シェイクスピアの四大悲劇として有名なこの作品。ミレーの美しい絵画『オフィーリア』を思い浮かべる方もいるのでは?数え切れない警句と人生訓の数々!全編読まなければ魅力がつかみきれない圧巻の傑作のあらすじや、ハムレットの元ネタとなった伝説についても解説しましょう。

『ハムレット』ってどんな話?

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シェイクスピア四大悲劇『ハムレット』。四大悲劇のうち最初に書かれた作品として、また数多くの名言の宝庫として、今なお多くの人に愛され上演されている劇です。どんなストーリーなのでしょう?あらすじをまずはご紹介しましょう。兄弟殺し、親殺し、恋愛ロマンス、不倫の略奪愛、復讐そして女嫌いとドラマはてんこもり!あなたはどの視点から読みますか?

デンマーク王子ハムレット、父の仇である叔父への復讐物語

物語の舞台はデンマーク。父王を亡くしたばかりの王子・ハムレットが主人公です。母である王妃ガートルードは、父の弟クローディアスと再婚してしまいます。つまり叔父を義理の父と呼ぶことになったハムレット。彼は立派だった父の死に疑問を持ちました。そこにあらわれたのが、父の亡霊。亡霊は、自分の急死は弟、つまりハムレットの叔父にして現在のデンマーク王クローディアスだというのです。亡霊の父先王は暗殺の仇を討つよう息子に頼みました。

「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」。愛する父の真相を知ったハムレットは狂気に取り憑かれます。しかし物語の中で、果たして本当に彼が狂ったのかははっきりしません。結婚や愛情、肉体そのものを嫌悪し、過激な言葉で物事を批難します。王子発狂に驚く周囲は、重臣ポローニアスの娘オフィーリアへの恋わずらいではないかと推察しますが……。

ハムレットは一計を案じ、役者を呼んで演劇を王と王妃の前でおひろめします。それは人妻を盗むために男がその夫を殺したという内容の物語。劇を見た王は激怒し、途中で芝居を終わらせます。ハムレットは、亡霊の言葉は真実だったと確信するのです。

ハムレットの狂気、乙女オフィーリアの悲劇

物語の転換点となる登場人物、国王補佐大臣ポローニアスの娘オフィーリアの悲劇について語りましょう。美しい乙女オフィーリアとハムレットは恋に落ちました。しかしオフィーリアの父ポローニアスをはじめ周囲は、若い男は気まぐれで女をもてあそんだらすぐ捨てる、その上身分違い!と忠告します。その上で彼女とハムレットの恋愛結婚を期待していました。ポローニアスが未婚の女性のたしなみを説くシーンはこの劇の見どころの1つです。

王子ハムレットの狂気を、恋わずらいと解釈した周囲の大人たち。そこでオフィーリアとハムレットの会話を盗み聞きすることとします。しかし恋人がオフィーリアに投げた言葉は「尼寺へ行け」というものでした(「尼寺」は当時「売春宿」の意味)。その後、ハムレットによる劇中劇の罠により王と王妃がボロを出します。

クローディアス王は妻の息子にして甥の言動に危機感を持ち、遠い属国のイギリスへ派遣することを決定。ハムレットはしかし、母親を問い詰める最中に盗み聞きをしていたポローニアスを、叔父の王だと誤解し剣で殺してしまいます。ハムレットはイギリスへ。父を恋人に殺されたオフィーリアともに狂人となります。物語は転げ落ちるように悲劇へと向かっていくのです。

復讐の果てに……

ポローニアスの息子でオフィーリアの兄、レアティーズはハムレットがデンマークを出発した後、帰国します。剣術の達人でもあるレアティーズは、父と妹を滅ぼしたハムレットに復讐を誓うのでした。頭がおかしくなってしまったオフィーリアは、川に落ちて溺れ死んでしまいます。自殺であることがほのめかされていますが……これが実際どうだったかは、研究者の間でも意見が分かれているとか。

自殺はキリスト教では大罪。オフィーリアは事故の疑惑もあることと、彼女の身分が高いという理由で教会と神父を説得。王と王妃、レアティーズはむりやり葬式を強行したのでした。ハムレットはイギリスで殺害されるところを辛くも逃れ、デンマークに帰還。ちょうどオフィーリアの葬儀が行われるところに遭遇しました。父親の復讐、妹の敵を討つことを誓ったレアティーズと決闘を繰り広げることになるのです。

ハムレットははたして先代の王、自分の父の願いを果たすことができるのでしょうか。すべてが破滅するラストは圧巻。北欧伝説をもとに『ハムレット』が書かれたのは1600年から1602年ごろのことと言われています。日本では関ヶ原の合戦があった時代ですね。シェイクスピアの四大悲劇の1つとして名高い傑作悲劇。

『ハムレット』の元ネタ、シェイクスピアって何者?

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実際に『ハムレット』の「元ネタ」になる事件ってあったのでしょうか?そしてシェイクスピアはどうやってこの物語を書いたのでしょう。『ハムレット』の作者シェイクスピアについて、そしてモデルとなった北欧伝説の王子「アムレート」について解説しましょう。また、読書家の筆者による『ハムレット』の見どころも紹介。いざシェイクスピアの世界へ。

大文豪ウィリアム・シェイクスピアの正体

イギリスで劇といえばシェイクスピア!今でこそシェイクスピア一強といった感じですが、彼本人が生きていた時代は生き馬の目を抜く、エリザベス朝演劇の最盛期でした。この時代はエログロが大ウケ。事実シェイクスピアの初期の名作『タイタス・アンドロニカス』も、当時の流行をおさえたエログロ作品でした。

悲劇、喜劇、ファンタジーから時代物まで書きこなした偉人シェイクスピア本人のことについてはあまりわかっていません。『ハムレット』のテキスト自体も何パターンもあります。日本語訳では光文社古典新訳文庫で、幻の「Q1」版が翻訳され出版されました。あまりにも史料が少ないことから伝記を書くことは不可能と言われるシェイクスピア。1つ言えるのは、彼は最高のエンターテイナーでした。

物語の中には人生訓や名言がてんこ盛りにされています。どこからひっくり返しても面白い!結婚や恋愛への批判、生きるとは、死とは……名言をピックアップするだけでもう1冊本が完成することでしょう。しかしシェイクスピアも最初から完成されていたわけではありません。猛勉強をして「元ネタ」を掘り起こしました。それが『ハムレット』の元ネタ、アムレートの伝説です。

『ハムレット』のモデル、王子アムレートって?

『ハムレット』で描かれるのははるか昔のヨーロッパ。イギリス(イングランド)はデンマークの属国で年貢を納めている立場です。これらから推測される時代は、デンマークのクヌート大王がイングランド王を追っ払い、イングランドを支配下に置いた11世紀ごろ。『ハムレット』が書かれる500年近く前を舞台にしているんですね。

シェイクスピアの『ハムレット』の元ネタは北欧伝説にあります。12世紀に歴史家サクソ・グラマティクスによってまとめられた『デンマーク人の事績』(『デーン人の事績』とも)に収録されている、王子アムレートの伝説です。アムレートは叔父に父を殺された上、母(父の妻)を奪われます。狂気をよそおって道化を演じ、アムレートは叔父への復讐を果たしました。

元ネタのアムレートは、ブリタニア(当時のイギリス)王の娘をめとります。一方でスコットランドの女王ヘルミントルーダとも愛し合いました。「弱きもの、汝の名は女なり」と嘆いたハムレットのモデルは、2人の妻を得るモテ男でした。恋愛も女性も、女性から生まれた自分自身も嫌悪したシェイクスピアのハムレットとは違うんですね。

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