スパルタクスの乱の背景
スパルタクスの乱がおきた理由は古代の奴隷制度や奴隷を大量に使用する大土地所有制度、ラティフンディアがありました。共和政ローマが征服地を広げるにしたがって、多くの奴隷たちが有力者の所有する大農園で働かされます。また、一部の奴隷は剣闘士としてローマ市民の見世物である闘技会で命を懸けて戦わされました。スパルタクスの乱がおきた背景に迫ります。
戦争に勝利し、多くの奴隷を確保した共和政ローマ
ローマに限らず、古代世界では奴隷の存在は当然のものでした。民主主義が発展したとされるアテネでも奴隷は存在し、ポリスの経済を支えています。古代ギリシアのポリスでは市民一人当たり2~3名の奴隷を所有していることが当たり前でした。
古代ローマよりも大規模な奴隷制が展開されたのが共和政ローマです。共和政ローマはイタリア全土を征服したのち、地中海の対岸にあったカルタゴとの3度にわたる戦争に勝利。シチリアやヒスパニア(現在のスペインなど)を属州するなど領土を大幅に拡大しました。
また、ローマはギリシアやマケドニア、北アフリカ、小アジアでの戦争にもことごとく勝利。地中海全域を支配しているといってもよいほどの領土を獲得しました。戦争に勝利したローマは敗戦国の捕虜などを奴隷とします。
奴隷制大農園のラティフンディア
戦争で獲得した奴隷たちはラティフンディアとよばれる広大な農園に送り込まれます。カルタゴとの戦争であるポエニ戦争のころに、イタリア半島の中小農民の没落が進み、農地は元老院議員などの有力者の手に集まりつつありました。
彼ら農園主たちは安価な労働力である奴隷を買い集め、ブドウやオリーブなどの果樹栽培を行わせます。農園主である元老院議員たちはローマに居住したまま、奴隷たちが生産した農作物から得られる利益で豊かな生活を送ることができました。
中小農民の没落を懸念したグラックス兄弟らは大土地所有を制限しようとしましたが、元老院議員たちの反対によって失敗。グラックス兄弟は暗殺されてしまいます。ラティフンディアは奴隷が供給される限り農園主に富をもたらし続けました。
市民の人気を集めた剣闘士
ローマとの戦いに敗れ捕虜となった者たちの中には 戦闘スキルをに優れた者たちもいました。そうした者たちは剣闘士(グラディエイター)として精選・育成され、円形闘技場(コロッセウム)で互いに戦うことを強制されます。
剣闘士奴隷たちの試合はローマ市民にとって最高の娯楽の一つでした。剣闘士たちは剣闘士同士の戦いだけではなく、猛獣との戦いも強いられます。
剣闘士たちは市民たちを楽しませるため厳しい訓練にさらされました。訓練に耐えられず、自殺した剣闘士もいたといいます。
剣闘士の試合は互いの武器の性能を確認する処から始まりました。試合は一度始まると一方が殺されるか、戦闘不能になるまで続きます。これ以上の戦いは無理だと判断した場合、剣闘士は降伏することができました。
しかし、戦いぶりが観客たちの期待を下回るものだった場合、観客は敗者の死を要求します。敗者は必ず死ぬわけではありませんが、常日頃から死と隣り合わせの生活だったことは想像に難くありません。
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スパルタクスの乱の経緯
共和政ローマが行き詰まりを見せ、内乱の1世紀に突入していたころ、スパルタクスという剣闘士奴隷が仲間とともに剣闘士の養成所を脱走しローマに対して反乱を起こしました。スパルタクスたち反乱軍はイタリア半島を縦横無尽に動き回り、たびたびローマ軍団を打ち破ります。事態を重く見たローマ政府はクラッススにローマ全軍の指揮権を与え反乱鎮圧にあたらせました。
反乱直前のローマの政治情勢
スパルタクスが反乱を起こす直前、ローマの政治情勢はどのようなものだったのでしょうか。
紀元前133年、グラックス兄弟がローマ市民への制度を立て直すため土地制度改革を行おうとしました。しかし、反対派によりグラックス兄弟は殺害されます。それ以後、ローマでは元老院議員たち中心の閥族派と既得権を持つ閥族派に反発する平民派が互いに私兵をひきいて争うようになりました。
平民派のマリウスは市民兵の復活を断念し、職業軍人集団をつくることでローマの軍事力を再建します。マリウスの死後、権力を握った閥族派のスラは反対派を徹底的に粛清しました。
スラが引退した後、ローマの政界では元老院議員たちによる政治が復活します。スパルタクスの乱が起きる直前のローマは有力者が私兵をひきいて争う不穏な時代でした。
反乱の始まり
南イタリアのカプアという町では多くの剣闘士奴隷たちが厳しい訓練にさらされていました。紀元前73年、カプアの剣闘士奴隷200人が脱走を計画。200人の内、70人が脱出に成功しました。
逃走した元剣闘士奴隷たちは近隣から武器を奪い、ナポリ近郊のヴェスヴィオ火山に立てこもり蜂起します。元剣闘士奴隷たちは自分たちの指導者に優秀なトラキア出身のスパルタクスら3人を選びました。
スパルタクスたちは近隣の奴隷たちにも反乱に加わるよう呼びかけます。奴隷たちの反乱の報告を受けたローマ元老院は法務官に軍団を率いさせ討伐させようとしました。
しかし、スパルタクスたちはローマ軍の背後に回り込む戦術で法務官たちの軍団を撃破。続けて編成された法務官軍団や執政官率いる正規軍団をも打ち破るなど予想以上の活躍をみせます。
度重なる勝利は多くの参加者を引き付け、スパルタクスたちの軍団は7万人まで膨張しました。スパルタクスはアルプスを越えてイタリアを脱出しようともしましたが、反乱軍内部の統制が取れず、結局、イタリアにとどまります。