金融恐慌の対策
1920年代の日本経済は次々と危機に見舞われていました。1920年には第一次世界大戦終結の特需がなくなることで起きた戦後恐慌が、1923年には関東大震災をきっかけとする震災恐慌が日本を襲います。
関東大震災の時に認めた震災手形の消化が進まない中、1927年に金融恐慌が勃発。その原因は時の大蔵大臣片岡直温の議会での失言がきっかけとなって預金者が銀行窓口に殺到した取り付け騒ぎにありました。
混乱は一時鎮静化しましたが、台湾銀行の処理をめぐって再び混乱が発生。若槻礼次郎内閣が総辞職に追い込まれます。
かわって組閣した田中義一は大蔵大臣に高橋是清を起用しました。是清は3週間の支払猶予令を出して銀行を休業させます。その間に紙幣を増刷し各銀行に融資。取り付け騒ぎの発生に備えました。
銀行に資金が潤沢にあることを知った預金者は取り付け騒ぎを起こすことがなくなり混乱は終息に向かいます。是清は事態の鎮静化を見て、大蔵大臣を辞任しました。
こちらの記事もおすすめ
昭和恐慌の対策
1929年、アメリカ発の恐慌が全世界に広がりました。いわゆる、世界恐慌です。世界恐慌当時、大蔵大臣の井上準之助は貿易を盛んにするため、金を自由に輸出入できる金解禁の政策をとっていました。
世界恐慌で各国が金の輸出を禁止する中、日本が金解禁を続けていることを知った各国の資本家が次々と日本から金を引き出します。
さらに、輸出の激減や企業倒産で失業者が街にあふれました。農村では農産物価格が暴落する農村恐慌が発生。日本は未曽有の不況に陥ります。これを、昭和恐慌といいました。
是清は犬養首相の求めに応じ4度目の大蔵大臣に就任します。是清は直ちに金輸出を禁止し、金の流出を止めました。さらに、大規模な公共工事を全国で行います。
経済学者のケインズがいうところの有効需要を喚起し、失業者に職を与えようという考えでした。アメリカのニューディール政策とも似ていますね。
さらに、軍事も増大させ国内の需要を増やします。これらの政策により、日本は世界で最も早く恐慌の影響から脱することができました。
こちらの記事もおすすめ
世界を震撼させた「世界恐慌」についてわかりやすく解説! – Rinto~凛と~
軍部との対立と二・二六事件
是清が昭和恐慌脱出のために取った財政政策を高橋財政といいます。是清が高橋財政を実施した期間は1931年から、二・二六事件で暗殺される1936年までの5年間ですね。低金利、低為替、積極的な財政支出を柱とするものです。
円安により輸出がしやすくなった日本経済は急速に回復しました。しかし、高橋は無秩序に支出を増やしたわけではありません。危機的状況を脱出するための短期的な方策として財政支出を増大させたのです。
景気の回復が明らかになってきたころから、高橋は予算の縮小を図ります。これに反発したのが軍部でした。
満州事変により本格的な中国進出をもくろんでいた陸軍は予算がいくらあっても足りないと考えています。是清に対して減らすどころか予算の増額を要求しました。しかし、是清は予算増に応じません。
1936年2月26日、陸軍の一部が首都東京を占拠する二・二六事件が勃発します。この時、是清はターゲットの一人にされてしまい、クーデタ派によって暗殺されてしまいました。
こちらの記事もおすすめ
昭和維新とも言われる「二・二六事件」とは?日本国内の内戦の始まり? – Rinto~凛と~