アメリカの歴史独立後

世界を震撼させた「世界恐慌」をわかりやすく解説!

日本でも30年前に起こったバブル崩壊。 実はこのバブル崩壊という事象はアメリカでも度々起こっており、このバブル崩壊がのちの第二次世界大戦のきっかけにもなっていました。 今回はそんなアメリカを震撼させた世界恐慌について解説していきたいと思います!

世界恐慌が起こるまでのアメリカ

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世界恐慌が起こったのは1929年でしたが、世界恐慌が起こる理由となった事象は何も1929年のみに起こったのではなく、それ以前からそんな兆候が見え隠れしていたのです。

第一次世界大戦で超大国に

かつては新大陸と言われて今アメリカ。しかしこの国は潤沢な土地や移民などに支えられていき1900年に入る頃にはイギリスを追い抜いて世界最大の経済大国にのし上がっていました。

さらに1914年から始まった第一次世界大戦ではヨーロッパとは違い戦地にはならず国土は無傷だったのでヨーロッパ諸国からの注文が殺到するようになりアメリカは空前の大景気に湧くようになります。

アメリカは債権国となりヨーロッパの経済を牛耳るようになり、アメリカ国内ではかつては高嶺の花だと言われていた自動車が普及。さらにラジオ、洗濯機、冷蔵庫といったいわゆる白物家電や、化粧品や服などといったなどといった消費財が大量に生産され国民は度々送られるパンフレットやセールスマンなどからの推薦などを行い顧客の物欲を刺激するいう大量広告が行われていき、さらには月額支払いなどといった大量消費・大量生産といったたくさん作ってたくさん売り払い巨額の利益を得るというまさしく資本主義の理想図のような生活を送っていくようになりました。

株の高騰と狂乱の時代

こうしてバブルに湧くようになったアメリカでは投資信託が流行。アメリカ国民のほとんどが生活を切り詰めて優秀な企業に莫大な金を投資するという状況に入っていき、アメリカ企業の株は大暴騰。世界中の投資家がアメリカの企業に投資したことも受けて世界の半分の富がアメリカに移動したとも言われるほどアメリカは大好景気に沸いていたそうです。

ここまでならまだ歯止めが効くのですが、アメリカは恐ろしいことに信用取引という形で株式投資を行なっていました。信用取引というのは例えば1千ドルしか持っていない人が1万ドルの株を買うときに銀行から「この株を買いたいから9千ドルを貸してください!」といって資金を調達するというもの。

今では「何いっているんだ?」と門前払いを食らうのが当たり前ですが、この頃のアメリカでは株価が暴落することはないと考えられていましたので普通に銀行が9千ドルぐらい貸してくれたのです。

しかし、これはただの借金で株は必ず上がるという信用の元で借りていました。そしてこの信用取引がとんでもない結末を招くことになるのです。

 

信じられないほどの格差

経済ブームでアメリカ国民は全員裕福になったと思われがちなのですが、そんなわけありません。実際に裕福になったのは大体40%ほどで後の60%は貧しい生活を強いられているような状態でした。さらにそれにとどめを刺したのが1924年から起こった農業不況。

都市部では重工業化が進んでいましたが、農村では大量に生産したことが仇となり農作物か過剰に生産されるという事態に突入。そのためどんなにものを作っても農作物がありすぎて逆に赤字となる豊作貧乏が多発。この農民の生活の逼迫がやがて商品の買い渋りに繋がっていき、世界恐慌の引き金の一つとなったのです。

株価の大暴落の前兆

買いたくても買えない人がいる中、アメリカの企業や工場は青天井のように商品を大量に生産を行なっていきましたが、それもやがて限界を迎えていくことになります。

アメリカ市場ではやがてどうしようもないほどの在庫が溢れかえるようになり、さらに売るべきであるヨーロッパ市場がどんどん回復しているのを見て株価の指標はどんどん曇り空へと変わっていきました。しかし、株価は1926年と1927年に急激に上昇。アメリカ国民はそんな危機感は全く持たずさらなる投資を行っていくことになります。そして株価の大暴落が起こる少し前の1929年3月25日、ウォール街の株価が少し暴落。これが大暴落の前兆でしたが、少し下がっただけでは投資をやめる人は少なく、この警告とも言える下落はほとんど無視されました。そして在庫があまりに余った状態となり鉄鋼生産量と建設数が減少。消費者は株を売らなければ破産するほどの高額債務を抱えていました

しかし株式市場はそんな消費者の実情を知らずにどんどん高騰株価は毎月過去最高を記録しすることになります。

しかし、プロの投資家はこの前兆を見逃すわけありません。著名なビジネス理論家のロジャー・バブソンは「遅かれ早かれ、暴落は来る。それは酷いものになるかもしれない」と語ったように株価の大暴落はすぐそこまで来ていると予測。

彼らは株式を売却し始め、その影響を受けて株価は徐々に下落。その下落を見てさらに投資家は大損をする前に株の売却を開始しました。

こうして株がどんどん売られていき、株の価格が危険水域に達したその瞬間ついに、アメリカどころか世界を震撼させるような大恐慌が訪れることになるのです。

運命の10月24日

1929年10月24日。何事もなく株式取引が始まったニューヨーク証券取引所。

この日ゼネラルモーターズなどといった大企業の株が大暴落したことにより、アメリカ中の企業の株価は大暴落。

この大暴落によって被害をできるだけ抑えたいとする民衆が取引所になだれ込み、この日だけで1289万4650株が売りに出されることになりました。さらに28日にはダウ平均株価が13%暴落するという状態に突入。一日で140億ドルが消し飛び、第一次世界大戦以降世界の経済を回していたアメリカの経済はもろくも崩れ去ることになったのでした。

世界恐慌の始まり

ニューヨーク州ウォール街から始まった株の大暴落は一気にアメリカの経済をどん底に落とすことになります。まず、株の信用によってお金を借りていた民衆は破産することとなりそのお金を貸していた銀行は倒産。そしてこの銀行を頼りにしていた企業やそこにお金を預けていた人たちも被害を被ることになり、工場や企業の倒産などで失業者が続出。

一時期25%の失業者を出してしまい、アメリカの経済は崩壊。かつて優雅な暮らしをしていた人たちは家を無くし掘っ建て小屋でなんとか飢えをしのぐようになり、人々はアメリカの政治に恨みを持つようになったのです。

さらにこの時世界一の債権国となっていたアメリカの経済破綻は世界をも巻き込む一大事へとなっていくのでした。

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