日本の歴史江戸時代

5分でわかる「鎖国」どうして始めた?実態は?メリット・デメリットは?わかりやすく解説

日本は、江戸時代に鎖国をおこなっていました。江戸時代初期までは、ポルトガル人やスペイン人の宣教師が日本を訪れて、キリスト教布教を熱心におこなっていたのです。武家社会の武士による農民支配の根底を揺るがす事態(天草の乱)までになったことが原因と言われています。鎖国によって江戸時代は200年以上平和な時代が続きました。 しかし、この鎖国をおこなったことによって失ったものも少なくありません。鎖国をおこなったことによるメリット、デメリットについて解説します。

1.鎖国までの背景について

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鎖国は、外国との交易や接触を止めることで、基本的には外国からの情報を一切遮断することです。日本でも、正式には1641年の長崎出島建設からペリー来航によって日米和親条約を結んだ1853年まで鎖国政策がとられていました。実際には、それ以前にも5次にわたる鎖国令があったのです。

その鎖国がおこなわれた背景には次のような背景がありました。

1-1.鎖国の背景 キリスト教の布教による価値観の多様化

戦国時代末期の織田信長や豊臣秀吉の初期の時代には、鎖国はおこなわれず、むしろ国内の仏教勢力の信長政権への抵抗などもあり、その対抗策としてむしろ宣教師などの布教活動を積極的に応援していました。

しかし、関ヶ原の合戦によって徳川幕府が確立されると、幕府は農業を支配の基盤とするため、国内で宗教的に多様化している状況は好ましくなくなります。そのため、鎖国の第一段階として宣教師による布教活動が禁止されました。

1-2.鎖国の背景 国内でキリシタンによる反乱が起こった

徳川幕府の時代になると、キリシタンによる幕府政策に対する反抗が目立つようになります。その代表的なものとして1637年のキリシタン反乱となる天草の乱が起こり、幕府は軍勢を派遣せざるを得なくなったのです。

その結果、幕府はキリシタン活動を主導したスペイン、ポルトガルの来航を禁じ、オランダと中国のみ長崎の出島への来航を限定し、全面的な鎖国に入りました。

2.鎖国のメリットとは何だったのか

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日本の鎖国政策は、国内に進んだ情報が広まらなかったことによって、大塩平八郎の乱のように小さな反乱事件はあったものの、200年以上大きな戦争のない平和な時代をもたらしました。鎌倉時代以降、武家社会になってからほとんど戦争のない時代はなく、江戸時代の庶民は安心して暮らすことができたのです。これは、大きなメリットであったと言えるでしょう。

この鎖国のメリットをまとめてみましょう。

2-1.国民を支配しやすい政治形態

鎖国のメリットとしては、やはり支配階層にとって、海外の情報が入ってこないことによって、自分が住む社会が当たり前と考え、不満を持ちにくい点があります。すなわち、支配階層にとっては支配しやすい政治形態だったといえるでしょう。

鎖国前の戦国時代末期には、スペイン、ポルトガルから来た宣教師たちがキリシタンの新しい価値観を持ち込んだり、ヨーロッパの文化を持ち込んだりしていました。それによって、日本の社会は価値観が多様化して混乱していたのです。

鎖国と同時に宣教師たちは追放され、キリスト教は禁止されました。

2-2.争いが起こりにくい社会

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日本社会の価値観の多様化の結果として、江戸時代初期には島原の乱が起こり、幕府はその鎮圧をおこなう必要が生じていました。

しかし、鎖国を実施したことで、新たな価値観が広がることはなくなり、幕末まで大きな争いは生じなかったのです。

2-3.200年以上平和な社会が続いた

すなわち、鎖国のメリットは支配階層が庶民の価値観を統一し、平和な社会を構築する上で大きな武器になっていたといえるでしょう。日本の奈良時代以降の歴史で、200年間も大きな争いが生じなかったのは、平安時代と江戸時代だけです。

平安時代の平和には、遣唐使を取り止めたことによって、実質的に鎖国状態になっていたことが大きいといえます。

3.鎖国のデメリットとは

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鎖国のデメリットは、中国の清国でもみられるように、海外の進んだ文明が入ってこなくなり、官僚組織が硬直化して国そのものが滅んでしまう場合もあることです。それらを詳しく見てみます。

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