日本の歴史

日本の象徴「天皇」の苦難と栄光の歴史とは?わかりやすく解説

ただの権威と成り果てた戦国時代

こうして始まった南北朝時代。しかし、この争いはいろいろな争いの後に室町幕府第3代将軍である足利義満によって持明院統を軸として統一。さらに義満は天皇の権力を幕府に吸収し、挙げ句の果てには自らが上皇になろうとしました。結局この計画はなる寸前に義満が亡くなったことによって無しに。しかし、天皇の権力はこのことによって地に堕ちたのでした。その権力の無さは室町幕府が衰退した応仁の乱以降もっと顕著に現れていくようになり、朝廷ではまともに儀式を行うことができないまでに落ちぶれ、天皇の価値はないにも等しいまさしくどん底の時代をさまよっていました。

しかし、伊達に1000年も天皇家は続いていません。天皇のお墨付きは地位の低いところから下克上を果たした戦国大名にとっては魅力的なものだったのです。それを利用して朝廷は官位を金で売りさばき始め、そのお金を使ってなんとかするというまさしく自転車操業を行なっていました。

権威どころかお飾りとなった暗黒の江戸時代

こうしてなんとかブランド力で地位を保っていた戦国時代。しかし、戦国時代も終わり、江戸時代に突入するとそのブランド力も要らなくなってしまいました。そんな朝廷に待ち受けていたのが禁中並公家諸法度という法律。この法律の字を見てみると禁中(天皇のこと)と公家に対する諸法度(法律のこと)と読むことができる通り、江戸幕府が天皇と公家に対して送りつけた法律だったのです。

これまでの歴史の中で朝廷の権威は落ちたちはしたものの、天皇を縛り付ける法律は出されたことはありませんでした。しかし、この禁中並公家諸法度は天皇を縛り付け、天皇を単なるお飾りに仕立て上げたのです。

その後、江戸時代における天皇は幕府から許可された領地で細々と経営をやっていくようになり、一躍影の人と成り下がったのでした。

日本の主権となった天皇【明治時代から終戦まで】

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だんだん扱いが悪くなってくる中、幕末に入ると天皇の扱いに転機が訪れ始めます。幕末の時代になると日本中で尊王論という『天皇を大切にしよう!』という考え方が広まっていきます。ペリーがきて幕府がどんどん頼りなくなっている中、天皇を担ぎ出せば近代的な中央集権国家を樹立できると倒幕派の長州藩と薩摩藩は思ったのです。

そして1868年に徳川慶喜が大政奉還を行うと矢継ぎ早に王政復古の大号令を発布。天皇中心の新政府を樹立して、武家社会にピリオドを打ったのでした。

そして時代は江戸時代から明治時代に突入。天皇は長年住んでいた京都から東京へと遷都することになったのですが、この当時の天皇である明治天皇は国家のトップとして常に国民の先頭に立ち、江戸時代の影の人からの脱出を図ります。そして大日本帝国憲法が発布されると天皇は日本の主権となり、神聖な存在として君臨することになるのです。

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