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最強の戦国大名と戦国武将は誰?個人的に思う最強大名と武将を徹底解説【12選】

皆さん大好き戦国時代。この時代は様々な戦国大名や戦国武将が活躍した時代でもありました。そこで今回はその名だたる大名や武将の中でも特に最強と呼べる人たちをご紹介いたします。

最強大名部門【7選】

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まずは戦国大名部門の紹介です。戦国大名と戦国武将の違いって結構わかりにくいですがそこはご愛嬌ということで。ちなみに戦国の三英傑(信長、秀吉、家康)は殿堂入りということでお願いします。

その1 越後の龍 上杉謙信

まず最初に紹介するのは『越後の龍』でもお馴染み上杉謙信です。謙信といえば戦上手でしたが、生涯戦った戦70戦のうちなんと謙信が負けた戦は2つしかなく、まさしく軍神といっても過言ではありません。さらに唐沢山城という上杉方の城が落城寸前となった時には44騎で突撃してなんと敵を撤退に追い込んでいます。

さらに、手取川の戦いで2倍以上の織田軍を粉砕したり、関東管領として関東の後北条氏の城を続々と攻め、小田原まで迫ったなど軍神として申し分ないはたらきを見せてくれました。

その2 甲斐の虎 武田信玄

次に紹介するのは『甲斐の虎』武田信玄です。この人も戦上手で生涯72戦のうちなんと負けたのは4回。彼の率いた騎馬隊は野戦においていろいろな大名から恐れられており、あの信長でさえも正面衝突を避けたくて信玄に対してたびたび太鼓持ちをする手紙を書いたほどです。彼のすごいところはその軍の能力だけではなく内政スキルも抜群だったこと。彼が釜無川というたびたび洪水が起こっていた川を抑えるために作った信玄堤は今でも残っています。

ちなみに信玄が負けた戦のうちの3回は村上義清という人です。この人もすごい人なんでチェックしてくださいね。

その3 島津義久とその兄弟

次にご紹介するのは島津義久です。この人の出身の島津家は薩摩(鹿児島県)の大名で、鎌倉時代初期から続く名門中の名門なんですよ。この人のすごいところは彼自身も大名としてのスキルが抜群だったのですが、彼の弟である義弘、歳久、家久も義久に負けないぐらい強かったのです。特に義弘はわずか300という軍で10倍以上の敵を破ったり、関ヶ原の時に家康本陣近くを中央突破するなどまさに最強という名を欲しいがままにしています。

当時島津家がいた九州では島津家のほかに大友家と龍造寺家が席巻しており、島津は少し劣勢でした。しかし義久たちはその劣勢をあっさりひっくり返して大友の時は耳川の戦いで粉砕し、龍造寺の時は沖田畷の戦いでまさかの当主を討ち取るという大手柄を上げ龍造寺を従属化させ、最盛期には九州のほとんどを手中に収めてしまいました

その4 中国地方の覇者 毛利元就

次にご紹介するのは毛利元就です。息子に教えた三本の矢のエピソードは皆さんも知っているはず。彼は最後には中国地方のほとんど手中に収めましたが、元々安芸国(広島県)の国人という非常に低い身分だったのですよ。さらに、当時中国地方を牛耳っていた二つの大名である尼子家と大内家のちょうど中間地点に位置していたこともあって元就はこの両家にちょこちょこ従いつつなんとか生き抜いていくという生活を送っていました。

しかし、息子を養子に出して勢力を拡大し始めると、いつしか安芸の有利な大名に成長していき、さらに厳島の戦いで大内家を裏切った陶晴賢の軍勢3万を3千で奇襲攻撃を行い自害に追い込むと大内家を乗っ取り急速に中国地方を席巻し始めました。そして1566年に尼子家も滅ぼすとついに中国地方8国を手中に収め、さらに当時最大の銀の産出量を誇っていた石見銀山も手に入れることができたのでした。そして彼はその後75歳でこの世を去りますが、彼の教えは関ヶ原の戦い後にも受け継がれていき最終的には幕末で倒幕の代表として活躍するきっかけにもなっていくのです。

その5 常陸統一を成し遂げた坂東太郎 佐竹義重

佐竹義重は常陸国(茨城県)の大名で、その強さから『坂東太郎』とも呼ばれていました。

この人のすごいところは後北条家が勢力を伸ばしていた関東地方においてその後北条家と渡り合ったところです。彼は襲ってきた敵を7人一気に斬き倒したり、愛刀で敵を斬ったら敵が兜ごと真っ二つになったという逸話があり武力がものすごいところ。さらに外交能力も高く1590年の小田原征伐後には常陸国を統一して57万石の大名となったところも凄いですね。

ちなみに佐竹家は息子が関ヶ原の戦いにおいて西軍についてしまったため秋田27万石に飛ばされてしまうんですが、その時に美女ごと秋田に連れて行ったことが後の秋田美人のルーツともいわれています。

 

その6 剣豪大名 北畠具教

次にご紹介するのは北畠具教です。聞き馴染みがあまりない人ですが、おそらく個人的武力の点からすればこの人が一二を争うほどの強さを誇った大名だったと思います。この人は上泉信綱や塚原卜伝などさまざまな剣豪から秘伝の技を伝授されており、特に塚原卜伝からは最強の奥義『一の太刀』を授けられたほど。

彼は信長が攻めてきた時に大河内城で籠城することになるのですが、その強さを活かして敵を襲撃。9人を討ち取るという大名として異例の戦果を挙げています。その後彼は三瀬の変で暗殺されてしまいますが、その時反撃されないように刀の刃を使いもんにならないようにしているところを見れば彼がいかに恐ろしい人だったと言われていたことがわかるはずです。

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