幕末日本の歴史江戸時代

日本が大きく変わった「文明開化」何が変わった?わかりやすく解説

『散切り頭を叩いてみたら文明開化の音がする』これは文明開化が推進され断髪令が発布された時に出された歌です。 そんな歌がはやるように日本では様々な改革や文化や社会の変化が巻き起こり、日本がかつてのちょんまげと武士の国から一気に西洋文化を整えている近代国家へと様変わりしていきました。 今回はそんな文明開化についてどのような文化や風俗が日本や民衆に入っていったのか、どんな法令が出されたのかを見ていきましょう。

文明開化とは?簡単に解説

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文明開化とは明治維新が起こった1868年から明治時代の初期にかけて日本全国で巻き起こった近代文化を取り入れる一連の運動のことです。

この文明開化によって日本はこれまでの古臭い国から一気に近代的な法令や設備が整えられた近代国家に成長して、のちにアジア唯一の一等国として欧米列強から認められる土台となっていきました。

食生活の文明開化

文明開化が起こる以前、日本では肉というものが食べられることはあまり多くはありませんでした。なぜなら日本はある意味仏教を信仰していたり、農耕を盛んに行なっていた国。そのため肉の中でも特に農耕に使っていた牛肉を食べることはこれまでの日本人からしたら考えられないことだったのです。

しかし、明治時代となり西洋の文化が入ってくるとそのイメージは大きく変わってしまい、西洋では盛んに食べられていた牛肉を食べる文化が日本に浸透。特に明治時代では牛鍋という今でいうところのすき焼きみたいなものが大流行。明治時代初期の作家であった仮名垣魯文は代表作である『安愚楽鍋』にて「牛鍋食わぬは開化不進奴」(意:牛鍋を食べない奴は時代遅れで恥ずかしいぞ)みたいにこれまでの文化がガラリと変わってしまったのでした。

食生活の変化はその他にも牛乳の飲用・木村屋によるあんぱんの開発・あいすくりん(アイスクリームぽいなにか)などのメニューがあります。

住生活の文明開化

文明開化が起こる以前、日本では江戸を中心に長屋と呼ばれる一階建ての木造建築がずらりと連なっている建築が主流でした。

しかし、明治時代に入るとこれまで主流だった木造建築から一転、西洋風のレンガ建築が主流となったのです。今でも横浜の名所の一つに赤レンガ倉庫がありますが、この倉庫はこの時期に建てられたもの。今では進化して鉄筋コンクリートが主流となりましたが、明治時代に建てられた官庁や建物はほとんどがレンガ建築だったのです。

また、明治時代になるとこれまで外の灯りがなかった東京(江戸)にガス灯が普及。夜でも明るくなり、時間の幅が広がりました。

衣生活の文明開化

文明開化か起こる以前、日本では頭の一部を剃って髷を作るいわゆるちょんまげがスタンダードな髪型でした。しかし、このちょんまげは日本だけの文化。明治時代初期にアメリカなどに派遣された岩倉使節団一行はその日本の奇妙な文化ともいえるちょんまげがアメリカやヨーロッパでバカにされていることを痛感し、帰国した使節を含めた明治政府は明治4年に断髪令を発令。

これまでのちょんまげを廃止にして代わりに日本では散切り頭というスタイルが定着しました。

『半髪頭を叩いてみたら因循姑息の音がする。総髪頭を叩いてみたら王政復古の音が。散切り頭を叩いてみたら文明開化の音がする』という歌が流行ったように日本ではちょんまげを日本の古めかしい文化とボロカスに言って散切り頭と洋服を日本の新しい文化とする認識が定着したのでした。

また、明治9年にはこれまでの武士のシンボルであった刀を警察や軍隊以外取り上げる廃刀令を発布。これは元士族からの大ブーイングが巻き起こってのちに士族反乱につながる一因となるのですが、政府からしたら日本国民が普通に武器を持つことなんて危ないですからね。これは仕方のないことだと私は思います。

交通・通信の近代化

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これまでは日本の衣食住における文明開化を見ていきましたが、明治時代に入るとこれまで徒歩や駕籠などが主流であった交通網が一気に発展していくことになります。次ではそんな文明開化による交通や通信の発展について見ていきましょう。

鉄道の発展

江戸時代における交通といえばいわゆる五街道を中心とした街道を徒歩や駕籠などを使って移動するしかありませんでした。しかし、ヨーロッパでは文明開化が起こるちょっと前に産業革命が起こったことによって蒸気による移動手段が開発されました。それこそがいわゆる蒸気機関車だったのです。

日本でおける最初の鉄道は明治5年に新橋〜横浜間(今の東海道本線)でした。今でこそこの区間はたくさんの人が何事も感じなく乗り降りしていますが、開業当時では興奮とトラブルが続出。蒸気機関車だったこともあって蒸気船と区別するために陸蒸気と呼ばれる一方で、駅のホームで下駄を脱いで乗車する・運賃が馬鹿高い(今の価格で3万円ほど)・電車の中でトイレがないなどいろいろなトラブルが多発するなど困ったことも多かったそうだとか。

しかし、一気に大量の人員を運ぶ鉄道は利用客から見ても、経営者から見ても魅力的だったようで鉄道が初めて日本で走ってから20年後には日本中に普及。明治五大私鉄(日本鉄道・山陽鉄道・関西鉄道・九州鉄道・北海道炭礦鉄道)と呼ばれる明治時代における私鉄の発展もあって明治時代終わり頃には日本全国に鉄道網が拡大して今の鉄道大国日本へと繋がっていったのでした。

通信・郵便制度の発展

江戸時代における通信や郵便といえば足が速い人が街道を駆け抜ける飛脚がスタンダードな方法として重宝されていました。しかし、明治時代に入るとヨーロッパから電信という衝撃的な機械が輸入。これまで飛脚で2週間ぐらい掛かっていた通信も電気の力によって一瞬で伝えることが可能となったのです。

この電信は日本中において衝撃を与え、明治2年に東京・横浜間における回線を最初に全国に普及。明治4年には長崎・ウラジオストク間が開設したことによって外国からの通信も楽々届くようになり、また明治23年ごろには全国の県庁所在地全てに接続。日本各地で電報が重宝されたのでした。

しかし、日本で文明開化があったのはなにも電信のような最新技術だけではありません。今でもたまに使うことがあるであろう郵便制度も明治時代初期に整備されたのでした。

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