- 幕末の海外情勢ー植民地化を進める西欧列強のアジア進出ー
- 西欧諸国の植民地化はアメリカ新大陸からアジア・アフリカへ
- 衝撃を与えたアヘン戦争での中国敗北
- 開国から幕府反発への動き
- 安政期に欧米諸国と結んだ不平等条約
- 強引に推し進めた井伊直弼への反発と暗殺
- 幕府の権力を取り戻すためにすすめられた公武合体の動き
- 幕末に広がった尊王攘夷の思想
- 尊王攘夷の思想は水戸学生まれ
- 尊王攘夷思想が倒幕と結びついていく
- 江戸時代の終焉ー倒幕から新政府樹立へー
- 長州藩は下関戦争で四国連合艦隊に惨敗
- 薩摩藩は薩英戦争で西欧諸国の軍事力を知る
- 尊王攘夷過激派長州藩と公武合体派の薩摩藩
- 薩長同盟で薩摩と長州が手を結ぶ
- 江戸幕府の終焉
- それぞれの思惑が絡み合った激動の幕末
この記事の目次
幕末の海外情勢ー植民地化を進める西欧列強のアジア進出ー
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幕末とは、江戸時代、つまり徳川江戸幕府時代の末期のこと。
一般的に1853年のペリーの黒船来航から1869年の戊辰戦争の時期を指します。細かな時期については諸説ありますが、欧米諸国が日本に来航し始めてから明治維新に至るまでと考えればいいですね。
歴史は時代背景を押さえることで、流れをうまく理解することができます。まずは、幕末にかけての海外情勢を見ていくことにしましょう。
西欧諸国の植民地化はアメリカ新大陸からアジア・アフリカへ
江戸時代初期、日本は「鎖国」という名の元に、限られた国々とのみ交易を行っていました。中国とオランダ、当時独立国家として存在した琉球王国、そしてアイヌ民族の蝦夷地です。
その一方で、ヨーロッパの国々は大航海時代へと突入しており、航路や新大陸を発見、貿易の拡大と植民地化を進めていたのですね。ヴァスコ・ダ・ガマ やコロンブス、マゼランなど探検家として有名ですね。
スペインとポルトガルの二強時代から、アメリカ新大陸の植民地化を積極的に行っていったイギリスへとヨーロッパの中心国は変わっていきます。
しかしながら、1775年のアメリカ独立戦争をきっかけに、植民地からの独立が相次ぐことで、ヨーロッパ諸国はアジアやアフリカへと向かっていくことになるんですね。アメリカもその後、海外に進出していくことになります。
衝撃を与えたアヘン戦争での中国敗北
日本は鎖国を貫いていましたが、そのような中、衝撃的な事件が起こりました。それが1840年に勃発した、イギリス対中国によるアヘン戦争ですね。
イギリスは中国に麻薬のアヘンを密輸し、結果中国の銀が大量に流出しました。貿易是正交渉は決裂し、戦争となりますが、結果はイギリスの勝利。南京条約という中国にとって不平等条約が結ばれてしまいます。
この情報は、鎖国体制下でも開かれていた長崎からオランダや中国を通して届くわけですが、大国と思われていた中国が敗れたことは、大きな衝撃だったのでした。
そして、日本に来航した異国船への対応は次第に変化していくと同時に、国内でも西欧列強に対する見方が変わっていったのです。
・幕末とは、ペリー来航から戊辰戦争までを指す
・西欧諸国は、大航海時代植民地化を進め、アジアに進出する
・イギリス対中国のアヘン戦争での中国敗北は、日本に衝撃を与えた
開国から幕府反発への動き
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1853年、ついに浦賀にペリーがやってきます。当時、大型の西洋船は黒色だったことから、黒船と呼ばれていたんですね。
ペリーは日本に、開国と貿易を求めるわけですが、時の幕府はすぐに返事をせず猶予を求めたため、ペリーは翌年また来航することになります。そこで結ばれたのが日米和親条約。下田と箱館(函館)を開港したことにより、鎖国は終焉を迎えたのです。
実は、アメリカと条約を結ぶまでにも、日本にはロシアの船をはじめとし、多くの外国船が来航しており開国を求めていました。そのような流れもあり、もう開国せざるを得ない状況にまでなっていたのですね。
安政期に欧米諸国と結んだ不平等条約
その後、アメリカとは日米修好通商条約を結ぶことになるのですが、アメリカに続き、次々と欧米諸国と条約を結んでいきます。これらを総称して、安政の五か国条約と呼ぶのですが、その五か国は、アメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、フランス。これらの国々と結んだ条約は、いわゆる不平等条約です。学校で、領事裁判権を認めること、関税自主権がないことなど習った人も多いのではないでしょうか。
この条約を結んだときの幕府の大老が、かの有名な井伊直弼。大老とは、臨時の際に置かれた幕府の役職の中で老中の上にあたる最高職、将軍の次に力を持つ人ですね。