室町時代日本の歴史鎌倉時代

北条政子VS日野富子!幕府の実権を握った2人の女性を徹底比較

鎌倉時代を代表する女性「北条政子」は、夫で将軍の源頼朝死後鎌倉幕府を守った女性として有名です。また、室町時代を代表する女性といえば、政から逃げた夫に代わって政治を動かした「日野富子」ではないでしょうか?この2人は、「日本三大悪女」の代表とされています。今回は、この2人を比較しながら、彼女たちの功績を探ってみたいと思います。

1.幸せな結婚と苦痛な結婚

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「北条政子(ほうじょうまさこ)」と「日野富子(ひのとみこ)」の2人の女性が執政したことは、中世の日本の歴史に大きく影響したことは間違いない史実です。鎌倉幕府では幕府政治を武家政権として成長させ、室町時代には中世封建社会が一つの節目を迎え完成した時代といえるでしょう。女性でありながら政治に関わり貢献した2人ですが、全く対照的な結婚をしています。

1-1政子と頼朝の出会い

北条政子が生まれた時期については、はっきり分かっていません。没年から逆算し、保元2(1157)年だと推定されています。伊豆国の在地豪族で平氏の流れを汲む北条家の傍流北条時政(ほうじょうときまさ)の長女として生まれました。

夫となる源頼朝(みなもとのよりとも)は、父源義朝(みなもとのよしとも)と共に、13歳で初陣を飾った「平治の乱(へいじのらん)」で敗北し、一人で逃げるも平家の追っ手に見つかりました。京に送られ平清盛(たいらのきよもり)に打ち首を言い渡されるも、清盛の継母池の禅尼(いけのぜんに)らによる助命のお陰で命を救われます。

死罪を免れ、伊豆の国の蛭ヶ小島(現静岡県伊豆の国市)へ流されました。政子の父時政は、在庁官人で流人頼朝の監視役を命ぜられていたのです。父が京に上京した時に頼朝と出会った政子は、一目で恋に落ち夢中になったとか。

1-2二人の愛は北条家を動かした

この頃は、「平家にあらずんば人にあらず(平家でなければ人間扱いされない)」というのが当然の時代でした。頼朝との仲を知った父は平氏を恐れ、平氏一門の役人山木兼高(やまきかねたか)を許嫁とします。治承元(1177)年の21歳のときに、許嫁の元へ嫁ぐ途中で抜け出し、夜の激しい雨の中伊豆の山中を頼朝の事だけを考え走ったのです。北条家が滅ぼされると父をはじめ兄弟からも反対されるも、意志の強い政子に父時政も仕方なく折れ結婚を許しています。

伊豆国は伊東氏と北条氏の二大勢力でした。頼朝は、伊東氏の3女と一度結婚して子供までできていたのですが、父の逆鱗にふれ子供を殺され別れさせられます。初婚でなく、出世の見込みもない、10歳年上の流人頼朝のどこがよかったのでしょう?でも、純愛を信じて貫いた政子は、将来鎌倉幕府将軍の「御台所」となるのです。ここが、北条家と伊東家の将来の分かれ道だったことは間違いありません。

1-3日野富子の生い立ちと結婚

日野富子が生きた室町時代の中期は、守護大名たちが力を付け、専制政治を行う将軍家の支配が困難になっていたのです。富子は永享12(1440)年に、父日野重正と母北小路苗子の娘として誕生しています。因みに日野家は歴代将軍の元へ娘を正室として嫁がせており、将軍家と縁戚関係にある名門です。

康正元(1455)年8月27日に16歳の富子は、21歳の第8代将軍足利義政(あしかがよしまさ)の元へ輿入れしました。義政は乳母で側室だった一回りも年上の今参局(いままわりのつぼね)にメロメロで、正室の富子には見向きもしませんでした。

1-4強敵今参局を打ちのめした富子

今参局は、義政が幼い時からずっと側におり、母親のような存在でした。優柔不断な義政は、今参局と富子の両方を大切にしたようです。険悪な雰囲気になった2人は、バトルを始める始末。今参局は富子より先に若君をと願い、自分の息のかかった娘を側室にします。思い通りに先に子を宿すものの、その子は女の子でした。

結婚して4年後に、富子にも待望の男の子ができたのですが死産でした。「彼の仁の、調伏と称し、若君腹中にて死去せらる(若君の死は、今参局の呪が原因だ。)」と、死産だったことが都で広まったのです。一節によると、今参局を陥れるための、富子の大叔母で義政の実母繁子との共犯による謀りによるものだったとか。

この噂を信じた義政は、今参局に激高し流罪に処しますが、彼女は無罪を主張し自害して果てました。この事件は記録に残っており、信憑性はないものの富子が何らかの罠に嵌めたのは間違いないようです

1-5政子VS富子の結婚は?

富子の結婚式は豪華絢爛でしたが、主役の花嫁に笑顔は全くありません。だって、権力を増したい兄が勝手に決めた政略結婚だったのです。大叔母の重子との嫁姑バトルも激しく、夫の愛人問題もあった上に、死産を経験するなど悲劇を絵に書いたような毎日でした

一方政子は、愛する人への一途な思いを貫き、父の決めた結婚から脱し幸せでした。嫁いだころは、夫からの愛情も一身に受けています

2.人生の岐路に立つ政子と富子

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政子も富子も、嫡子を設けることができました。夫が亡くなり子供のために生きた政子は、子の後見者として権力を誇示します。一方富子は、政治を顧みず夢の中で生きる夫に見切りをつけ、我が子を将軍に置き幕府の実権を握ろうと翻弄したのです。

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