平安時代日本の歴史

蝦夷征討から武家政権のトップへ「征夷大将軍」の歴史をわかりやすく解説

日本の歴史上、武家政権のトップとなったのが「征夷大将軍」という役職です。源頼朝や徳川家康が有名ですが、実は征夷大将軍という役職はかなり古い時代から始まっています。そのルーツは何だったのか、「征夷」とはどんな意味があるのか、どんな人物が征夷大将軍になったのか、さまざまな疑問について解説していきましょう。

征夷大将軍とは何か?・もともとは蝦夷討伐の臨時職

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平安時代、関東から南東北までしか朝廷の支配が及んでおらず、北東北は蝦夷(えみし)と呼ばれた人々が居住していました。蝦夷はアイヌを指す言葉ですが、実際には朝廷に従わない日本人(日本語を話す人)も含まれていたと思われます。

そこで桓武天皇は794年、大伴弟麻呂を「征夷大将軍」に任命して蝦夷討伐を行わせました。「征夷(せいい)」とは簡単に言えば「東の異民族を征討する」という意味です。九州や四国で反乱を起こした者を平定する将軍は「征西大将軍」とか「鎮西将軍」などという役職になりました。また、征夷大将軍が新設される前は「征東将軍」という役職があり、奈良時代の有名な歌人の大伴家持などが就任しています。

その後、有名な坂上田村麻呂が征夷大将軍に昇格して、陸奥国に胆沢城(現在の岩手県奥州市)を築いて鎮守府を置くなどの功績を残しました。しかし蝦夷の支配が進むと長い期間、征夷大将軍という役職は置かれなくなります。

征夷大将軍の歴史1・源頼朝によって幕府のトップに

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「征夷大将軍」が武家政権のトップを意味するようになったのは、鎌倉時代の源頼朝からです。平家を倒して事実上、日本を統一した頼朝にはふさわしい地位を必要としていました。1190年、頼朝は右近衛大将(右大将)となりますが、この役職は天皇の親衛隊ですから京都にいなければなりません。また、平家のように宮中で関白や太政大臣といった地位になることも望みませんでした。頼朝は鎌倉が根拠地であり、東日本で朝廷から独立した存在だったので、これでは都合が悪かったのです。

そこで歴史上、武士のトップに立つ者にふさわしく、しかも東日本にいてもよい役職として「征夷大将軍」が選ばれました。しかも東北地方にいる奥州藤原氏と戦う必要があったので、その意味でもドンピシャの役職です。1192年(建久3年)に頼朝は征夷大将軍となります。

例の「いい国(1192)作ろう鎌倉幕府」のゴロ合わせは、将軍になったこの年を指しているんですね。ただ、現在の歴史教科書では頼朝が守護・地頭を置き、全国に権力基盤を確立した1185年を幕府が開かれた年としています。年号は「いい箱(1185)作ろう」と覚えましょう。ちなみに、武家政権を「幕府」と称するのは、将軍の邸宅が中国風に幕府と呼ばれたことによるものだそうです。

征夷大将軍の歴史2・「摂家将軍」から「皇族将軍」へ

この征夷大将軍の位は息子の頼家、実朝へと受け継がれ、征夷大将軍は鎌倉幕府のトップとして定着します。略して単に「将軍」とも呼ばれました。しかし、実朝が暗殺されると頼朝の血筋は断絶。そこで頼朝の妹の血を引く藤原頼経(九条頼経)が将軍として迎えられました。摂政を出す家柄だったので、これを「摂家(せっけ)将軍」と言います。頼経は当時2歳でしたので、頼朝の妻・北条政子が後見人となり、「尼将軍」と呼ばれました。

しかし摂家将軍もわずか2代で断絶。第6代将軍には天皇家から宗尊親王が迎えられ、鎌倉幕府は宮将軍(皇族将軍)の時代になります。やはり宮将軍も実権はなく、幕府の権力は執権の地位にあった北条氏が握っていました。宮将軍は鎌倉幕府の滅亡まで続きます。

鎌倉幕府は実質的に朝廷から独立した政権でしたが、その統治は朝廷の律令制度を利用して行われました。そこで、京都の天皇を上に置きながら、将軍をトップとした幕府が政治を行うという独特の体制が日本ではずっと続くことになったのです。

征夷大将軍の歴史3・将軍の地位が低下した戦国時代

その後、1338年に足利尊氏が征夷大将軍となり、室町幕府が始まります。3代将軍足利義満の時代に室町幕府は絶頂期を迎えますが、次第にその地位は低下。戦国時代にはほとんどお飾りのような存在になってしまいます。最後の将軍・足利義昭は織田信長に京都から追放され、室町幕府は滅亡しました。

しかし幕府は滅びましたが、その後も義昭は征夷大将軍の地位にとどまっています。そのためか、信長はほぼ全国を統一しながら将軍の地位にはつかないまま、本能寺の変で最期を遂げました。ただし、信長は天皇から「太政大臣、関白、征夷大将軍のどれでも好きなのを選んでいい」と提案されていたという説もあり、その気になれば幕府を作ることは可能だったのでしょう。豊臣秀吉も将軍ではなく、関白・太政大臣といった地位についています。

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