日本の歴史

【家紋】橘を家紋とする家系ってどこだろう

日本で家の家紋の中で9番目に多いのが「橘紋(たちばなもん)」です。みなさんの中には橘紋の方もおられるのではないでしょうか?また橘紋は「太刀花紋」と表されることもありますね。太刀というと武家という感じがしますが、調べてみるとなかなか奥深い由来や意味がありました。どうぞ一緒に楽しんでみてください。

そもそも家紋ってなんだろう

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家紋というのは日本古来からの固有の家の氏姓をあらわす紋章のことです。発祥は「源平藤橘(げんぺいとうきつ)」と呼ばれる源氏・平氏・藤原氏・橘氏といった強力な氏族が、他の一族と自分の一族を判別区別するために使ったシンボルが始まりとも、御所に入るための通行手形という話もありますね。

家紋の意味ってなんだろう?

みなさんご存知の水戸黄門で「この紋所が目に入らぬかー!」って言いますが、紋所というのは家紋のことです。徳川家なので「三つ葉葵」ですね。徳川の名字は御三家しか使えませんので一族の松平家という苗字ですが、同じ家紋ですよ。このように家紋は一族の出自や家系や家柄などを示すものです。

平安末期に、西園寺実季や徳大寺実能などの公家が牛車の胴に独自の紋をつけて都大路を歩き始めたり、それまでの調度品には色々な蒔絵などが装飾されていたのを紋をつけ始めたのが家紋のはじまりという説がありますね。武士も戦の時の旗印や武具などに好んでつけていました。現在では仏壇やお墓にいれている家が多いですね。

他の家が使っているものは暗黙の了解で使わないという決まりがあります。特に天皇家は「菊花紋章(菊紋)」となりますので、他の家は使うことができません。たまに豊臣秀吉のように特別に功労があってくだされたり、楠木正成のように「菊と水(菊水)」というアレンジしたものをくだされた家もありますが。

家紋の種類ってどのくらいあるの?

まだ苗字がなかった時代に移り住んだ土地の名前を称しても、元の家系をそれで知ることができますね。241種、5116紋以上といわれますが、アレンジしたり新しく考案したりして現在は2万近くの家紋がありますよ。

氏族全体が使う家紋を「代表紋」「表紋」といい、徳川家などの大名が個人的に決まって使うのは「常紋」「本紋」「正紋」といい、他に使いたい正式でない紋は「替紋」「裏紋」「別紋」「副紋」「控紋」といい、公式や個人的に使うこともあったようですね。江戸時代になって庶民が使うようになった家紋は「通紋」と呼ばれますよ。

図案の代表的なものというと「片喰(カタバミ)」「木瓜(ウリがデザインされたもの)」「鷹の羽」「柏」「藤」を五大紋といい「桐」「蔦」「梅」「橘」「目結」を入れて十大紋といいますね。他には植物だけでなく、扇・車・笠などをデザインした器物物、井桁(井戸)・鳥居などの建造物、蝶・龍・鳥などの動物、花菱・巴・亀甲などの文様物、星・月などの天体物、一文字や大文字などの文字物があります。

 

男紋と女紋ってなんだろう?

関西地方で昔からあり、知っている人もおられると思いますが、同じ家族なのに男性と女性の紋が違う家があります。それは「男紋」「女紋」といいますよ。男性は「代々続いている男系の家紋」を使い、女性は「嫁いでも母の女系から続いている家紋」を使うということですね。だいたい男紋は家を表す外輪がついていて、女紋はついていません。

現在はなんに使うのかというと「袱紗」や「紋付の着物」につけられることが多いですよ。結婚したんだから男紋でいいじゃないか?とか、女紋をいつのまにか忘れられてわからないという家も多いですね。ちなみに我が家は、男紋は丸に沢瀉で、女紋は抱き柏となっています。

橘紋ってなんだろう?

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橘紋の元は、橘という姓を奈良時代に下賜されてからはじまりました。その頃にはまだ家紋というものはなかったのですよ。平安時代になってから、調度品などを他の家と区別するように橘を図案化して「これは橘家のものです」と誇示するように使い始めたのです。これは家紋のはじまりといってもいいかもしれませんね。  

橘ってなんだろう?

そこで「橘ってなに?」という話になりますね。おひな様の飾りで「右近の橘」と聞いたことがあると思いますが、実は「みかん」のことです。厳密にいえば現在のみかんの原種ですね。「えーっ、みかん?」と思われるかもしれませんが、当時はとても貴重な果物で、中国から「不老不死の薬」として「田道間守」という人が薬としてもってきました。「わらしべ長者」という昔話でも、藁から物々交換していって、最後は「みかん」が縁で長者になるというくらい貴重な薬だったのですね。

橘紋の意味

果実もそうですが、実は松と一緒で1年中緑の葉をつけているということから「永遠」という意味でたたえられて不老不死(長寿)や恋の歌などにも詠まれていました。橘家の一族は名門として栄えましたが、平安時代に藤原氏との権力争いにやぶれ衰退していきます。そのために他の家も「橘紋」をブランドとして使うようになってしまったのですね。

昭和12年(1937)に制定された「文化勲章」の最初の柄は桜でしたが、昭和天皇が「文化勲章は永遠のものなので、その意味のものがいい」と言われて橘紋となり、東京高等工芸学校(現・千葉大学工学部)教授の畑正吉が「勲章は橘の五弁の花の中心三つ巴の曲玉・鈕にも橘の実と葉」というデザインになっています。

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紫蘭