平安時代日本の歴史

蝦夷征討から武家政権のトップへ「征夷大将軍」の歴史をわかりやすく解説

征夷大将軍の歴史4・徳川幕府と征夷大将軍の終わり

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関ケ原の戦いに勝った徳川家康は、1603年に征夷大将軍となりました。そしてわずか2年後に息子の秀忠に将軍を譲り、自らは「大御所」として実権を維持。早めに将軍職を息子に譲ることで、「徳川家が将軍を代々受け継いでいく」ということを天下にアピールしたとも言われています。

その狙い通り、徳川幕府は15代もの長い政権を築き上げました。しかし幕末になると幕府の政治力が弱まり、15代将軍・徳川慶喜は1867年に「大政奉還」を行います。ここで将軍も辞めたと思われがちですが、慶喜は依然として征夷大将軍のままでした。翌1868年のいわゆる「王政復古」によって征夷大将軍という官職は廃止されました。

征夷大将軍の余話・「源氏」でないと征夷大将軍になれない?

よく「征夷大将軍は源氏でないとなれない」と言われることがあります。確かに、源頼朝、足利尊氏は源氏ですし、徳川家康も一時期は藤原姓だったこともありますが将軍になった時は「源氏」です。一方、織田信長の本姓(本来の姓)は平氏で、豊臣秀吉は藤原氏となった後に「豊臣」を姓としています。そこでこういった説が生まれたのでしょう。

しかし、前に見てきたように鎌倉時代には藤原氏や天皇家の征夷大将軍もいたわけです。また、織田信長が征夷大将軍になる可能性もありました。だから征夷大将軍が源氏なのは単なる偶然であって、特に源氏でなければいけない理由があったわけではないと考えられます。

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