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16世紀の世界の海を支配した「スペイン無敵艦隊」とは?わかりやすく解説

イギリスとの対立が影を落とす

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フェリペ2世は、皇太子時代にイギリスの女王であったメアリー1世と結婚しており、イングランド(英国)女王の夫としての立場にあり、影響を与えていました。しかし、メアリー1世がフェリペ2世に従いカトリックに改宗しようとしたことから、新教徒(プロテスタント)の多いイングランド国民の信頼を失います。その結果、新たにイギリス国教会派のエリザベス1世が即位したため、スペインとイギリスの関係は対立するようになっていったのです。

しかし、この当時、プロテスタントのカルヴァン派の多かったオランダ(ネーデルランド)に対してカトリックへ改宗させようとしたことから、反発が強まります。オランダでは1568年に独立戦争が始まりました。それに対してフェリペ2世はそれに対して弾圧をおこないますが、イギリスがオランダを支援したことから、フェリペ2世は激怒し、出撃させたのです。1588年5月にスペイン無敵艦隊を派遣して、イギリス討伐に向かわせましたが、アルマダの海戦でドレーク率いるイギリス・オランダ連合軍に敗れてしまいます。

スペインの最盛期は長く続かなかった

完全にイギリスに制海権を渡してしまった訳ではなかったものの、ここに無敵艦隊の称号はイギリス海軍に奪われ、スペインの全盛期は終わりに近づくことになりました。その後の30年戦争でついに繁栄は終わりを迎えます。

このように、スペイン無敵艦隊はフェリペ2世とともに現れ、彼の代で終わっているのです。その後は、無敵艦隊の称号を手に入れたイギリス海軍は世界の制海権を制して、スペインを上回る植民地を獲得し、19世紀のビクトリア女王の時代に最盛期を迎えています。

オランダの独立は時間がかかった

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ネーデルランド(オランダ)は1581年に独立宣言をしましたが、さすがにハプスブルグ家から正式に独立が認められるのは17世紀の30年戦争のウエストファリア講和会議後でした。すなわち、30年戦争で敗れたハプスブルグ家の威信が落ちたウエストファリア条約の締結まで待たなければならなかったのです。

フェリペ2世の日本との関わり

また、フェリペ2世は、1584年に日本のキリシタン大名であった大友宗麟が派遣した天正少年使節団と謁見したことでも有名です。フェリペ2世は、天正少年使節たちとの謁見によって日本におけるカトリック教の普及に期待します。ただ、日本は信長の死後、天下人になった豊臣秀吉以降カトリックの布教に対して態度を硬化させ、結果的には日本との交易はプロテスタントのオランダに絞られました。

スペイン無敵艦隊の出現の影響

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フェリペ2世のスペイン無敵艦隊の出現は、2つの要素がありました。やはりルネサンスにおける羅針盤の発明と、大航海時代による世界の海(ヨーロッパにとっての)の発見が大きな影響を与えたといえます。

これによって、人類はパンドラの箱を開け、富を求めて世界に植民地を作るようになり、それは資本主義につながっていったといえるのです。しかし、その結果、世界には富める国とそれらの国に富を搾取される国に別れました。現在でも先進国と発展途上国に別れ、先進国で優雅に暮らす人がいる反面、飢餓に苦しむ人々が数億人もいる状況にあります。さらに、先進国のエゴによって地球環境は悪化し、温暖化から異常気象が頻発するようになっているのです。

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