フランスブルボン朝ヨーロッパの歴史

ヨーロッパにその名を轟かせた名門「ブルボン家」とは?元予備校講師がわかりやすく解説

17世紀後半、太陽王とあだ名されたフランス国王ル14世はパリの南西およそ20キロメートルに位置するヴェルサイユに豪壮華麗なヴェルサイユ宮殿を建築しました。ルイ14世は16世紀末から18世紀末までフランスに君臨したブルボン朝の国王です。ブルボン朝は、オーストリアのハプスブルク家と並ぶ名門としてヨーロッパにその名をとどろかせました。今回は、フランス王家のブルボン家について元予備校講師がわかりやすく解説します。

フランス王家として君臨したブルボン家

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フランスのブルボン家は、カペー朝以来の名門貴族です。カペー朝が断絶し、ヴァロワ朝がフランスの王家となった後も、ヴァロワ朝の遠縁として王族に近い高貴な貴族としてフランス政界で影響力を行使します。16世紀後半、フランスで宗教戦争であるユグノー戦争が起き、ヴァロワ朝が断絶すると、ブルボン公家のアンリ4世がフランスの王座に就きました。以後、ブルボン家の王朝はルイ13世、ルイ14世、ルイ15世、ルイ16世を輩出し200年近くフランス王家として君臨します。

ヴァロワ朝時代のブルボン家

フランス中央部に位置するブルボネー。ブルボン家の発祥の地です。ブルボネーの領主であるブルボン家は、最初は一地方領主に過ぎませんでした。14世紀前半、ルイ1が時の国王シャルル4世によって初代ブルボン公爵に叙せられます。これが、貴族としてのブルボン家の始まりですね。

14世紀前半、カペー朝が断絶するとヴァロワ家がフランス王家となり、ヴァロワ朝が始まります。ブルボン家はヴァロワ王家の外戚(妻の一族)として、ヴァロワ朝を支える有力貴族となりました。

ヴァロワ家のフランス王位継承に、隣国イングランドのエドワード3世が異議を唱えたことから、イギリスとフランスの百年戦争が始まります。百年戦争中、ブルボン家はヴァロワ朝やイングランドと難しい交渉をしながら、家門の存続をはかりました

ユグノーの代表としてブルボン家が戦ったユグノー戦争

百年戦争が終わっておよそ100年後、フランス国内では旧教(カトリック)と新教(プロテスタント)の争いが激しくなっていました。フランス国内で有力な新教はカルヴァン派です。カルヴァン派はフランスではユグノーとよばれました。そのため、カトリックとユグノーの対立による宗教戦争をユグノー戦争といいます。

1559年、フランス王アンリ2世が死去すると、幼いフランソワ2世が即位しました。フランソワ2世の摂政となり国政を動かしたのは母親のカトリーヌ・ド・メディシスです。

1562年、カトリーヌはユグノーの有力者ブルボン家のアンリと娘のマルグリットを結婚させました。この時、カトリーヌとカトリック諸侯は結婚式に出席するためパリに集まっていたユグノーを殺害します(サンバルテルミの虐殺)。

ブルボン朝を開いたアンリ4世

サンバルテルミの虐殺以後、宮廷に幽閉されていたブルボン家のアンリは1576年に脱出に成功。ユグノーのリーダーとしてカトリック勢力と戦います。

1585年から1589年の間、フランス王アンリ3世、カトリックの有力者であるギーズ公アンリ、ユグノーの指導者であるブルボン家のアンリの3人が宗教と王位をめぐって争いました。通称、3アンリの戦いです。

三者は三つ巴の争いを繰り広げましたが、ギーズ公アンリとフランス王アンリ3世が相打ちに近い形で亡くなると、国王候補者はブルボン公アンリに絞られました。

ブルボン公アンリが国王に即位し、アンリ4となってもカトリック勢力の抵抗は続きます。在位中、アンリ4世は国内政治を安定化させるためカトリックに改宗。さらに、ナントの王令を発してユグノーの信仰の自由を認めました。これでようやく、フランスの政治は安定します。

宰相リシュリューの補佐を受けたルイ13世

1610年、アンリ4世は狂信的なカトリック信者によって暗殺されてしまいました。アンリの急死により、まだ8歳だった王太子ルイがルイ13として即位します。

1614年、大貴族たちは自分たちの特権を認めさせようと身分制議会である三部会を開かせました。ところが、三部会は貴族同士の利害関係の調整がうまくいかず、何も決まることなく閉会します。

幼いルイ13世を補佐していた母親のマリー・ド・メディシスは、三部会の聖職者代表として出席していたリシュリューの能力を見抜き、宰相として抜擢。リシュリューは成長したルイ13世の信任を得て長期間宰相にとどまりました。

リシュリューは、ヨーロッパ最強の力を誇っていたオーストリアのハプスブルク家に対抗し、フランスの国際的な地位を上げるため三十年戦争に介入。ハプスブルク家との戦いを有利に進め、のちのウェストファリア条約で領土を拡大する基盤を築きます。

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